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P.S
手紙なら追伸ということになるのだが、年末から正月にかけてDVDであらためて見た香港映画『花様年華』にあらためて感動、どうしてもこれだけは付記させていただきたく──

「女は顔を伏せ、近づく機会を男に与えるが、男には勇気がなく、女は去る」という字幕とともにこの恋愛映画の傑作がはじまることは、すでに前回で、DVD発売の紹介とともに述べたとおりだ。
1962年の香港からはじまる女(張曼玉/マギー・チョン)と男(梁朝偉/トニー・レオン)のやるせない恋物語は、1963年のシンガポールをへて、1966年の香港へふたたび戻り、「時は移ろい、あの頃の名残は何もなかった」という字幕とともにフェイド・アウトし、1966年のカンボジアの寺院址アンコールワットにおけるエピローグで「男は過ぎ去った年月を思い起こす。しかし埃で汚れたガラスごしに見るかのように過去を見るだけで、触れることはできない。見えるものはすべて幻のようにぼんやりと……[そして消えてゆく]」という字幕とともに終わる。すみからすみまで静かな、心にしみいる美しさにみたされた映画だ。その美しさを2人の女性ライターがこのうえなく美しい言葉で讃えているので、紹介させていただきたいと思う。
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『花様年華 IN THE MOOD FOR LOVE』
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「モノクロ的な色調を中心にしたノスタルジックな映像は、クラシックな香りと高貴なエロスをみごとに融合させ、永遠に見ていたい気分である」と書くのは北川れい子氏である(「香港電影通信」、プレノン・アッシュ)。
「トニー・レオンに呼び出されたマギー・チョンがホテルのループ状の階段を登るカットなど、[ウォン・カーウァイ監督作品の撮影を担当するおなじみの]クリストファー・ドイル的映像もいくつかあるが、たゆたうような映像は一貫していて、二人の秘やかで濃密な愛の軌跡は、永遠の記憶となる。
そしてトニーがくゆらす煙草の煙の美しさ。ここでのトニーは、目で語り、煙草で語り、そして背中でも想いを語るのだ」。
そういえば、「恋愛的中華電影明星誌 チャイニーズ・シネマ・スター・オデッセイ」(粉雪まみれ、集英社)のなかでもトニー・レオンの背中の美しさに言及されていたことを思いだす。
フランソワ・トリュフォー監督の『隣の女』(1981)のように──そしておそらくそこからヒントを得たにちがいない──隣同士の男女の恋物語は、しかしながら、「一線を越える」ことなく、「思えば<抑制>こそがこの作品のテーマだったのだ」と福岡愛子氏は書く(「ユリイカ」、青土社)。
「妻の嘘に疑惑をもった男は、建物の壁を背に憂い顔でたたずみ、夫と隣人の妻との関係に気づいた女は、相変わらず孤独な夕食のために屋台への狭い階段を昇り降りする……」。
いつも夜の闇に支配されたように暗く様式化された狭い空間を行き来する男と女。男の妻と女の夫は声とうしろ姿だけでついに顔を見せず、ひたすら男と女の出会いから別れまでその恋のゆくえをキャメラは追いかけるのである。屋台で買ってきた餃子や麺やちまきを狭い寝室でひそかにふたりで食べるところなど、孤独なふたりのストイックな、<抑制>のきいた暗い関係が象徴的ににじみ出たあまりにもひそやかで親密感あふれる美しいシーンで忘れられない。ふたりの俳優のさりげない好演もあり、真にセクシーな、色気のあるシーンと言えるだろう。
男は女の助けを借りて小説を書きはじめる──もしかしたらこの映画の恋物語そのものが男と女の創作したロマン(それはまた「記憶」の名でもよばれる)にすぎないのかもしれない。
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『花様年華 IN
THE MOOD FOR LOVE』
監督・製作・脚本:ウォン・カーウァイ
出演:トニー・レオン、マギー・チャン
2000年/香港映画
1時間38分
DVD:¥4700(税別)
発売:松竹
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「抑えた感情を創作の共同作業に昇華して、二人はつかのまの明るさを見せる。男がそのために借りた部屋へと続く真紅のカーテンが揺れ、真紅のコートの女は逸る心で階段を駆ける。中国では紅色とは伝統的に婚礼の衣装や装飾に用いられる色であるのだが、このような場においてさえ、二人はやはり強い抑制で一線を守り続ける」と福岡愛子氏は書いている。そして、「抑制する限り募り続けた二人の愛は、[シンガポールで]一線を越えることでようやく完結し、秘密は永遠に封印された」のだ、と。
「アンコールワットの壁に秘密を閉じ込めた後、男はカメラに向かって正面切って歩いてくる。その姿には、背中では語られることのなかったある潔さと強ささえ感じられる。時は過ぎ去るばかりで、過去の幻はどんなに愛おしくとも二度と触れることができない。いつでも会えるという思いを抱えて生きるということは、いつか本当に会えることを意味しはしない。しかし、その孤独と喪失感を強さに変えるものがあることを、王家衛は自らの記憶の中でひときわ愛着のある六○年代の香港を舞台に伝え切った。『花様年華』は、王家衛作品中最も完成度の高い一作といえよう」。
北川れい子氏も「極上の美酒よりも、もっともっと陶然とさせられる」と絶讃する。「数年後のエピソードを経て、アンコール・ワットの廃墟に“記憶”を埋めるラストの甘美な喪失感も、みごとな余韻を残す。
おそらくウォン・カーウァイにとって、愛は、砂のように手からこぼれるものなのだろう。主人公たちに出来ることは、記憶を封印することだけなのだ。彼の映画の恋人たちはみな、そうだ。そしてそれが伝説となる」。
古めかしく新しい映画という讃辞は古今東西の傑作に共通するものだろう。
胡弓の奏でるような哀切きわまりないバイオリンによる主題歌とともに、静かなスローモーションが、あるいはスローモーションと見まごうばかりのゆるやかなキャメラの動きが、わびしく息づまるくらいに心をゆさぶる。そしてナット・キング・コールの歌うラテンナンバーが暗く静かに恋の気分をもりあげる。こらえきれずに男と女の手がにぎり合う、あるいは男のうしろ姿を求めて女が思わずふりむく、といった小さな、しかし万感の思いをこめた動きにも、さりげなくコマのばしのような微妙な映像処理がちりばめられて、恋するふたりの心のゆらぎを伝えてくる。
追伸のまた追伸になってしまうのだが、ビデオカセット(VHS)ではキング・ヴィダー監督の西部劇の名作『テキサス決死隊』(1936)が出た(ジュネス企画)。テキサス州独立100年祭を記念してつくられ、テキサス生まれのキング・ヴィダーが監督した。私が見たのは戦後だが(1953にリバイバル公開された)、久しぶりに見て、その古めかしい白黒の映像にもかかわらず、ただもう、力強く単純な面白さを堪能した。いまやアメリカ映画から失われてしまった西部劇のたのしさをあらためて語らなければならないだろう。
キング・ヴィダーはジョン・フォードのような筋金入りの西部劇監督という人ではなかったが、サイレント時代はともかく(というのも私自身がそこまでは見ていないからだが)、トーキー以後、『ビリー・ザ・キッド』(1930)、『テキサス決死隊』、『白昼の決闘』(1947)、『星のない男』(1955)といった数こそ少いものの、どれも忘れがたい西部劇を撮っている。『ビリー・ザ・キッド』など、ジュネス企画からぜひ出してほしい1本だ。もうだいぶ前になるけれども、東京国立近代美術館フィルムセンターで開催されたアメリカ映画回顧展で見て、その痛快さ、その心意気、その面白さにうなったものである。
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『テキサス決死隊』
監督:キング・ヴィダー
出演:フレッド・マクマレー、
ジャック・オーキー
1936年/アメリカ映画
1時間39分
VHS:¥4800(税別)
発売:ジュネス企画
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映画の本では犬塚稔という100歳になる映画人(かつて林長二郎=長谷川一夫をデビューさせた監督であり、勝新太郎の『座頭市』シリーズなど時代劇の脚本家として知られる)の書いた回想録「映画は陽炎(かげろう)の如く」(草思社)が出た。面白そうだ──いや、面白いにきまっている! これから読むのがたのしみである。
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「映画は陽炎(かげろう)の如く」
犬塚智稔著 草思社
2200円(税別)
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