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「e/mブックスvol.10 サム・ペキンパー」(遠山純生編、エスクァイア
マガジン ジャパン)
「きれいな猟奇 映画のアウトサイド」(滝本誠著、平凡社)
「ピストルオペラ/鈴木清順オフィシャル・ハンドブック」(「リトルモア」特別編集、リトル・モア)
「光と嘘、真実と影 市川崑監督作品を語る」(和田誠/森遊机著、河出書房新社) |
と興味深い映画の本が出た。
「ピストルオペラ/鈴木清順オフィシャル・ハンドブック」は、「KAWADE夢ムック 総特集鈴木清順」(河出書房新社)に次いで、カルト的名匠になってしまった鈴木清順監督の新作『ピストルオペラ』のプログラムを兼ねた研究書(ヒロインの江角マキコをはじめ数々のインタビューを主体にして映画づくりの現場、メイキングの雰囲気を伝える)で、さらにいっそうカルト化に拍車をかけることにはなるだろうけれども、鈴木清順といい、市川崑といい、じつに幸福な映画作家だと言うべきだろう。それも生きていればこそ、現役ならではこそなのかもしれない。
映画作家が亡くなっても作品は残るはずなのに、まるで作品もなくなってしまったかのように一般には見放されるというのが実情のようだ。「e/mブックスvol.10 サム・ペキンパー」のオビの惹句に「サム・ペキンパーを忘れない。」とうたっているのも、ペキンパー死すとも映画は死なずという叫びのように聞こえる。
もちろん、サム・ペキンパーを忘れるわけがない。つい昨年(だったと思うけれども)、マーティン・スコセッシ製作、スティーヴン・フリアーズ監督の『ハイロー・カントリー』(1998)がサム・ペキンパーの遺作シナリオの映画化であることを知って心ときめいて見に行ったことを思い出す。「時代遅れの無法者への挽歌を奏で続けた」ペキンパーの「想い」や「心の声」が伝わってくる作品だったが、ペキンパー映画の俳優たちがすでにいないことが悔やまれたこともたしかだった。しかし、リチャード・ホワイトホールによる1969年の「サム・ペキンパーとの対話」(遠山純生訳)で、ペキンパーが、『ハイロー・カントリー』について、「私が今までに書いた中で文句なく一番出来のいい脚本だよ」と語っているのが感動的だ。ビデオが出ているはずなので、『ハイロー・カントリー』をまた見てみたいと思う。
滝本誠評論集「きれいな猟奇 映画のアウトサイド」は、映画から映画を越えてその外側まで疾走していく現代芸術論で、内容もびっしり詰まっているので、たまたま個人的に著者とささやかな付き合いのきっかけになったアルフレッド・ヒッチコック監督の『白い恐怖』(1945)について書かれた「異次元の色彩 ホワイト&ブラックとカラー」から読みはじめたところ、ヒッチコックからスティーヴン・スピルバーグ(『シンドラーのリスト』、1993)へ、そしてスタンリー・キューブリック(『時計じかけのオレンジ』、1971)へ、『白い恐怖』のダリの美術(悪夢のシーン)からアルバート・ルーウィン監督
の『ベラミ』(1947)のための「聖アントニウスの誘惑」コンテストへ、『オズの魔法使』(ヴィクター・フレミング監督、1939)から『ストーカー』(アンドレ・タルコフスキー監督、1979)へ、デヴィッド・リンチ(『イレイザー・ヘッド』、1977)からトッド・ブラウニング(『怪物団』、1932)へ、『狩人の夜』(チャールズ・ロートン監督、1955)から『大アマゾンの半魚人』(ジャック・アーノルド監督、1954)へと、白黒の映像と色彩をめぐって「暗闇のサイコ・ドライブ」をめまぐるしく楽しむという仕掛けである。
「THIS SWEET SICKNESS from Lynch to Thompson」という英語題名も付いていて(香港映画のように!?)、私はただもうジーナ・ガーションというしがない悪女の魔力を持った女優に熱を上げて銀座シネパトスのレイトショーにかけつけたものの風邪をひいてしまった忘れがたい『ファイヤーワークス』(マイケル・オブロウィッツ監督、1966)という遅れてきた魅惑のB級フィルム・ノワールが、デヴィッド・リンチからジム・トンプスンへのつながりであることなども本書で知ったのである。刺激的な1冊だ。
ここまで書いたところへ、NHKテレビ(BS1)のニュースで「映画館の入場料金が値下げの傾向」と報じているのが目と耳に入る。本当だろうか?
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『ハイロー・カントリー』
監督:スティーヴン・フリアーズ
製作:マーティン・スコセッシ
出演:ウディ・ハレルソン
ビリー・クラダップ
1998年アメリカ映画
1時間54分
VHS:16000円(税別)
発売元:アスミック=角川書店
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