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プロローグ:もうひとつの『もののけ姫』
第1回 ゴダールの『映画史』
第2回 アンナ・カリーナとともに
第3回 映画と観客
第4回 美少女チャン・ツィイーに捧げた愛の詩
第5回 アニメーションの冒険
第6回 映画の宝物
第7回 羽仁進とジャン・ルノワール
第8回 誰が映画を殺すのか












 映画の本は、「沢島忠全仕事 ボンゆっくり落ちやいね」(澤島忠、ワイズ出版)が画期的な1冊になるだろう。この5月から6月にかけて東京・千石の三百人劇場で催されたこれまた画期的な回顧上映「沢島忠の世界」とともに、じつに、じつにうれしいおどろきと言うほかはない。

 私にとっては、何よりもまず、『冒険大活劇・黄金の盗賊』(1966)という若き日の松方弘樹主演のイキのいい、ちょっとサイレント時代のダグラス・フェアバンクス主演の『海賊』(アルバート・パーカー監督、1926)を想起させる、軽快でコミカルな時代冒険活劇の監督なのである。そのころ、私はパリに留学中で、1967年の正月休みに2週間ほどゴーモンというフランスの映画会社に仕事をたのまれたこともあって帰国したおりに見た1本がこの沢島忠監督作品で、飢えたように日本映画を見まくって(当時はまだフランスでは日本映画がめったに見られなかったのである)、「おもしろい」最新の日本映画のリストを作成してパリに戻り、ゴーモンのほうに報告した。それがゴーモンからたのまれた私の仕事だったのである。その仕事の担当はエリック・シュランベルジェという人で(20代半ばで、私と同じぐらいの年齢だった)、ジャン=リュック・ゴダール監督の『女と男のいる舗道』(1962)でアンナ・カリーナがひとり踊りまくるビリヤード室のシーンに――アンナ・カリーナに向かってゴム風船をふくらますパントマイムを演じてみせる男の役で――出演もしている。

 エリック・シェランベルジェ氏は、私の作成したリストと報告を参考に日本映画の買い付けのために東京へ向かい、「これが最高におもしろかった」と興奮して買ってきたのが、沢島忠監督の『冒険大活劇・黄金の盗賊』だったのだ。
 それからパリのゴーモンの試写室でいっしょにまたこの映画を見て、フランス語吹替え版(一部の「芸術映画」以外は外国映画はオリジナル字幕スーパー版ではなく、フランス語吹き替え版で封切られた)のための台詞の翻訳のお手伝いもした。『L'Or des Samourais(サムライの黄金)』という題で公開されたと思う。

 そんなこともあって、私にとっては沢島忠監督との出会いの映画でもあり(1958年から沢島監督が東映でたくさん撮っていた錦ちゃん、ひばり、千代之介、橋蔵のものなどは正直のところ苦手でほとんど見ていなかったし、1963年の『人生劇場 飛車角』『人生劇場 続飛車角』はパリに行っていて公開当時はもちろん見ていなかったので)、忘れがたい『冒険大活劇・黄金の盗賊』なのだが、沢島監督本人は「私あんまり好きやないんです。ええ出来やないんです、苦労したけどね、こういうのあんまり得意じゃない」とあっさり言ってのけている(「沢島忠全仕事 ボンゆっくり落ちやいね」、前出)のである。

 「こういうの」とはどういうのかというと、「これは、特殊撮影をおおいに使ってやるという条件で〔撮影に〕入ったのですが、特殊撮影がほとんど、いや、全然使ってなかった」ということで、「琵琶湖の湖底に石田三成の軍用金が埋めてあるとう話だったの。ところがブルーバックがうまく使えないんですよ。それをうまく作って冒険活劇をやれという事だったんだけど……」と悔いが残るらしい。しかし、美しく澄んだ琵琶湖を男たちが裸でもぐって軍用金のありかを求めて泳いでいく姿を俯瞰でとらえた、まさにダグラス・フェアバンクスの『海賊』を想起させる、美しい映画的なシーンには息を呑み、ラストの書割の城と絵に描いた大きなお月さまに向かって堀のこちら側からアニメーションのように2本の縄がのびていくと、御金蔵破りの2人の男がするするとその縄を伝っていくというウォルト・ディズニーの『ピーター・パン』的な風景などにも心おどらずにはいられなかった。

「沢島忠全仕事 
 ボンゆっくり落ちやいね」

澤島忠著
ワイズ出版
3800円(税抜き


 お客が「入らなかった」ことも悔いが残るのだろう。1966年12月11日の封切で、「いちばん入らない時封切。もうあかんと思った」とのこと。マキノ雅弘監督なども同じように、お客の入らない映画は要するに失敗作なのだろう。それは、アルフレッド・ヒッチコックにしても同じで、作家性を主張したりせずに何よりもまず映画を観客のためにつくる監督の信条と心意気を感じさせる。

 「沢島は徹底した観客へのサービス精神で押し通した」と結束信二氏は「日本映画監督全集」(キネマ旬報社)に書いている。三百人劇場における「沢島忠の世界」の開期中、舞台挨拶とシンポジウムに登場した75歳の沢島監督の「徹底した観客へのサービス精神」にも圧倒された。1時間近くのあいだ、会場はときに爆笑の渦に包まれて幸福感にあふれたことだけは記しておきたい。

 『冒険大活劇・黄金の盗賊』についての沢島監督の回想にはこんなオチもつく。
「これは、日本ではダメだったけど、フランスなんかではよかったんですよ。私は何故評判良かったかわからなかったんだけど、音楽を原信夫とシャープ&フラッツにやってもらったら、音楽だけ著作権が入ってくるの、フランスから。原ちゃんが御礼だって英国屋で背広作ってくれた。」

 映画の黄金時代の映画人のすべての自伝のように「沢島忠全仕事 ボンゆっくり落ちやいね」も沢島忠(一時、正継と改名、現・澤島忠)という人間の一代記としてもおもしろく読めるだろう。





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