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「日本の映画もいいゾ!」と『釣りバカ日誌』の新作に出演した青島幸男が「朝日新聞」2月27日夕刊のコラムに書いていた。
若者よ、ひたすら観(み)るのでもいい、映画作りに参加するのもいい、日本の映画界をもっと盛り上げていこうじゃないの。テレビもいいけど、映画も観よう!
ひとむかし前に書かれた妄言と錯覚されるかもしれないが、それと前後して同じ朝日新聞夕刊の「オフステージ」という連載コラムに三池崇史監督が次々と早撮りするので(「前作の編集作業と並行しての荒業。映画業界の常識からすると掟(おきて)破りともいえる節操無き慌ただしさなのです」)、周囲から「あんた、やり過ぎだよ。もっとじっくり撮りなさいよ」と「ご親切に忠告してくれる」が、なに、人呼んで「東京ゴミバケツ」、活動屋の残党だ、とひらきなおって書いていた。
現状をいつもながら適切に指摘しているのは、「キネマ旬報」4月下旬号の「BOX OFFICE REPORT」の(K)氏だろう。「邦画には確実なファン層はいるものの、劇場数とバランスがとれない。邦画には適切な規模のマーケットの確立が必要であろう」というのである。
女性誌や男性誌やその他の映画専門誌ではない、一般的な、大衆的な、あるいは前衛的・知的な月刊誌などでは、よく、「この春、映画が面白い!」とか、「いま、ハリウッド映画が面白い!」とか、「日本映画が今、断然面白いのだ!」とかいった特集が目につく。そのたびに思うことなのだが(単なる映画ファンとしてだが)、特集すべきテーマはただひとつ、「いま、なぜ映画料金がこんなに高いのか!?」ということではなかろうかということなのである。だって、映画は面白いにきまっている。映画館をハシゴして見たい映画がたくさんある。だが、入場料金が高すぎて、そうもいかない。おまけに、入れ替え制の映画館が多く、もう1回見たい、せめてアタマのクレジットタイトルのところだけでも見たいというようなことがあっても追い出されてしまう。映画ファンが育つようにはできていないのである。しかし、「BOX
OFFICE REPORT」の(K)氏はこう書いている。
不況のまっただ中にある出版界では佐野真一著『誰が本を殺すのか』という本が話題になっているが、映画業界も全体的には厳しい環境にあり、同じ状況に陥りかねない。入場料金の割引サービスなどにメジャー各社が手をつけ始めたが、果たして業界復活に間に合うだろうか。観客に映画館で映画を観る習慣を持たせることに、これまで業界は何の手も打ってこなかった。その意味では、話題作、大作が並ぶ今年は正念場である。
映画サービスデーとか女性優待割引デーのような映画館の「入場料金の割引サービス」など焼け石に水というわけなのだろう。「観客に映画館で映画を観る習慣を持たせる」ために、もっと抜本的な対策を講じる必要があるということなのだろう。同じ号の「キネマ旬報」誌上では「特別企画」のひとつとして、「映画館主義──絶対映画館で観る!」という映画専門誌らしからぬ、あまりにもあたりまえの無責任なスローガンのもとに、スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』(1968)、リチャード・レスター監督の『ハード・デイズ・ナイト』(旧公開題名『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』)』(1964)、川島雄三監督作品40本(1944−63)、沢島忠監督作品20本(1958−71)、鈴木清順監督作品(「鈴木清順レトロスペクティブ」として日活時代の17本、「DEEP SEIJUN」として1980−91の3作)のリバイバル上映を特集している。前口上も高飛車だ。
何度となくくり返し上映されてきた不朽の名作が、映画史の中に埋もれてしまった不遇の傑作が、この春、再びスクリーンに映し出される。これが、ビデオ、DVD、衛星放送の時代にいかに貴重か、そしていかに奇跡的なことであるかは、読者のみなさんには充分に分かっておられるだろう、映画館で映画を観る魅力と共に。
さあ、スクリーンの前に座って体いっぱいにこの作品群を楽しもうではないか!
「この作品群を楽しもう」にも金銭的な余裕がない(たとえ時間的な余裕があっても)という人はいないのだろうか、とつい思ってしまう。というのも、あえて反動的なことを言うと、かつて映画(を見ること)は貧しき者の宝物であったからである。
高すぎる。やっぱり、映画料金は高すぎる、と思う。そう思うだけで、何の解決策もあるわけではないのだが!
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「2001年宇宙の旅」 |

「ハード・デイズ・ナイト」 |

≪STYLE TO KILL 鈴木清順
レトロスペクティブ≫ |
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※『川島雄三 乱調の美学』は5月11日まで三百人劇場にて開催中。『東映黄金時代劇 沢島忠の世界』は、同じく三百人劇場にて5月12日から6月3日まで開催。
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