
フランス映画の巨匠、ジャン・ルノワール監督が、ナチ占領下のパリを逃れて
―― ルノワール監督自身の言葉を借りれば「自由という自らの存在理由を失ってしまったヨーロッパを去り」(ジャン・ルノワール
エッセイ集成」、野崎歓訳、青土社)―― アメリカに「亡命」したのが、1941年。
『スワンプ・ウォーター』(1941)
『自由への闘い』(1943)
『フランスへの挨拶』(共同監督、1943)
『南部の人』(1945)
『小間使の日記』(1946)
『浜辺の女』(1947)
そして、インド・ロケによる、
『河』(1950)
といった作品が「亡命」時代につくられたが、このうち、『自由への闘い』『南部の人』『浜辺の女』『河』がすでにビデオ化されていることを知った。信じられないくらいだ。
どれもそれぞれすばらしく、見ごたえある作品なのだが、なかでもジャン・ルノワール監督が自ら「この作品がアメリカで作った映画のうち、今までのところ一番面白いものではないかと思っている」(「ジャン・ルノワール
エッセイ集成」、前出)と述べている『南部の人』の“たのしさ”(とあえて言わせていただく)をビデオで見ながら堪能した。まるでジョン・フォードの映画みたいな豪快なたのしさだ。
鉛筆ぐらいのヒゲがある巨大なナマズを釣り上げて、敵対する隣人同士がたちまち意気投合して和解するところなど、まさにアナーキーで豪快なユーモアにあふれたルノワール的越境ぶりである
―― 隣人の悪意の柵が一瞬にして取り払われ、すべての障害を越えて心と心が通じ合い、ひとつになってしまう。もはや「国境」はない
―― 人間と人間をわけへだてる関係がナマズ一匹でいっきょに超えられるのだ。ここは見てのおたのしみだが、まだ見てない人のために、無愛想で偏屈で意地悪なJ・キャロル・ナイシュが河に棲む「鉛筆」という名の大ナマズを獲ることを生涯の夢にしていて、憎むべき隣人のザカリー・スコットを木かげから銃で射ち殺そうとした一瞬、大ナマズの「鉛筆」がザカリー・スコットの仕掛けてあった釣針にかかるのだというシチュエーションだけを明かしておこう。恩讐の彼方に大ナマズの「鉛筆」が君臨するのだ!
頑固一徹の悪党かと思われたJ・キャロル・ナイシュが実はルノワール的フェアプレイの精神を失っていない気高い敵役であったことがわかって感動的だ。ジョン・フォードの映画と同じように、ジャン・ルノワールの映画にも、真にいやしい、卑劣な人間はいないのだ。「戦争をやるにしても、礼儀正しく」というのが『大いなる幻影』(1937)の基調になっているとフランソワ・トリュフォーは言ったが(「わが人生の映画たち」)、それは『南部の人』にも言えることなのである。
ジョエル・マックリーに蹴られた『南部の人』の主人公の役にザカリー・スコットの起用を望んだのはジャン・ルノワール監督だった。「粋なギャング役専門の俳優」で、映画がディープ・サウスを舞台にしているので、「南部出身のスコットが出演となれば、本物の南部のアクセントが聞ける」とルノワールは「自伝」(西本晃二訳、みすず書房)に書いているが、エリック・アンブラーの「ディミトリオスの棺」の映画化『仮面の男』(ジーン・ネグレスコ監督、1944)でデビューしたザカリー・スコットは、OK牧場の決闘であまりにも有名なワイアット・アープがダッジ・シティの保安官だったときに助手に招いたというバット・マスターソンの甥でもあったから、西部男の血をひく俳優としての起用でもあったのだろう。
柵と国境についてはジャン・ルノワールの「自伝」(前出)にこんな一節がある。
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