子供たちの姿をいきいきととらえた『トリュフォーの思春期』(フランソワ・トリュフォー監督、1976)や『100人の子供たちが列車を待っている』(イグナシオ・アグエロ監督、1988)を、すでに20年も30年も前に予告していたようなすばらしさだ。
東京国立近代美術館フィルムセンターの回顧上映「フィルムは記録する2001:日本の文化・記録映画作家たち」で、羽仁進監督の教室もの3部作とも言うべき短編児童映画を久しぶりに見て、そのおもしろさにあらためて驚嘆する。
『教室の子供たち』は1954年作品。29分。「学習指導への道」という副題どおり、文部省委託の現職教員用映画としてつくられたものであった。『絵を描く子どもたち』は1956年作品。38分。これも同じ目的で小学校の教室の生徒たちをとらえたもの。「児童画を理解するために」という副題が付く。『双生児学級』も1956年作品。39分。副題のように「ある姉妹を中心に」しながらも、双生児ばかりの教室の模様がリアルに描かれる。「文部省学術映画シリーズ」の1本として撮られたものであったが、私はかつて映画館でふつうの劇映画といっしょに見た記憶がある。『絵を描く子どもたち』から「映画館で劇映画と併映され」、「引き続き劇場公開の可能な記録映画」として『双生児学級』もつくられたと佐藤忠男氏も書いている(「日本映画監督全集」、キネマ旬報社)。
誰が見てもおもしろい ―― 少なくとも劇映画と同じようにたのしめる ―― 記録映画だったということだろう。実際、いま見てもなお、いや、いまだからこそ、いっそう、そのおもしろさがきわだち、その新鮮な映画的躍動感に魅了される。
白黒作品だが、『双生児学級』はパートカラーで、児童たちの描いた絵だけが鮮烈なカラーになるのに、すっかり褪色してしまっているのが惜しまれる。せめてビデオで
―― 高画質のDVDで ―― 保存できないものだろうか。永遠の名作として ―― そしてもちろん学術映画、教育映画として、とも言いたいところだが、いまや“バトル・ロワイアル”の時代だから、学校教材用には役立たないかもしれないが!――誰もが見られるような形にしておきたいものだ。佐藤忠男氏はさらにこうも書いている。

「フィルムは記録する2001:日本の文化・記録映画 作家たち」のチラシ |