校正刷を見るついでに、追伸の形であわただしく最近出版された2、3の映画の本について記しておきたいと思う。まずは不躾ながら私自身が上梓した「天井桟敷の人々」(ワイズ出版)について――というのも、朝日新聞夕刊(2000年12月19日)に、こんな死亡記事が出たからである。
ジェラール・ブラン氏(フランスの映画俳優、監督)
フランス公共ラジオによると、17日、パリで死去、70歳。死因は明らかにされていない。43年、マルセル・カルネ監督の「天井桟敷の人々」で子役としてデビュー。50年代後半にはヌーベルバーグの旗手クロード・シャブロル監督の「美しきセルジュ」(57年)、「いとこ同志」(58年)に主演格で出演し人気を集めた。70年代以降は監督として晩年まで映画製作を指揮した。(共同)
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問題は「……マルセル・カルネ監督の「天井桟敷の人々」で子役としてデビュー」というところで、たしかにジェラール・ブランは『天井桟敷の人々』で初めて映画出演をしたとのことだが、「子役として」ではなく、ラストのカーニバルの群衆シーンのエキストラとしてだった。映画ではよく使う手だが、遠近法でずっと遠くまで人で埋まっている感じを強調するために、奥のほうは子供に大人の扮装をさせたのである。だから、もちろん、「子役としてデビュー」というのは間違いである(といったようなことに気をつけるような人はもういないだろうけれども)。カーニバルなので、みんなピエロの扮装をしていて、当時12歳か13歳のジェラール・ブランも同じようにピエロの扮装で出ているにちがいないのだが、1800人から2000人ものエキストラがうごめく映像のなかでは、どこに出ているのか、とても確認できない。
私は今回、映画『天井桟敷の人々』のシナリオ採録にあたって、すべての人物を登場順にチェックしてみた。たとえば劇中劇(というか、映画のなかで観る舞台)の「オセロ」にデスデモーナの役を演じている女優など、どうしても調べがつかなかったキャストと同様に、ジェラール・ブランやジャン・カルメ(劇場の天井桟敷を埋めつくした客の1人として出ているとのこと)のようにその後有名になった俳優でも役付ではない「その他大勢」組はキャストに記すべくもなかったのである。
というわけで、「あとがき」に書き忘れたことを付け加えさせていただいた次第だ。

「アルバム ジェラール・フィリップ」
ワイズ出版
2800円(税抜き) |
山中陽子編、ジェラール・ボナル著「アルバム ジェラール・フィリップ」(坂斉公子・上野良子・三田村京子訳、ワイズ出版)は、「永遠の貴公子」として知られるフランスの生んだ最高の美男スター、ジェラール・フィリップの生涯を貴重な写真で構成したもの。ファンにはこたえられない1冊だろう。
前回でちょっと紹介した「フランソワーズ・アルヌール自伝 映画が神話だった時代」(石木まゆみ訳、カタログハウス)のなかに、ジェラール・フィリップについて書かれたすばらしい一節がある。すばらしい
―― というのは、この女優がいつも自分よりも他のスターのすばらしさに魅せられ、率直にその思いをぶちまける謙虚な美徳を失うことがないからである。あこがれのジェラール・フィリップとはついに共演するチャンスはなかった女優のフランソワーズ・アルヌールだが、ファンとしてずっとジェラール・フィリップの“グルーピー”でありつづけたのであった。
ジョルジュ・ランパン監督の『白痴』(1946)のジェラール・フィリップについて、彼女はこう書いている。「私は、ただひたすらジェラールを見つめていた。優雅そのもので、脆く、悲劇の天使のような魅力がある……」
1957年、サンフランシスコで「フランス映画週間」が開催され、フランソワーズ・アルヌールも他のスターたちとともに招かれ、「とうとうジェラール・フィリップと近づきになる機会が訪れた」。
ジェラールは陽気で、いくつになっても、その若々しさは変わらなかった。どんなばかげたことでもやってしまいそうな、いたずら好きな少年のような感じがした。好奇心が旺盛で、貪欲だったから、何でも知りたがり、体験してみたいと思い、どんな役でも演じたいと思っていた。映画スターとして不動の地位を築いたあとも、それに甘んじることなく、目が肥えた観客の多いアヴィニョン演劇祭の舞台に挑戦した。もし舞台が不評ならば失うものは大きいと知りつつ、あえて挑んだのだ。(「フランソワーズ・アルヌール自伝 映画が神話だった時代」、P.282)
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「いつも、同時進行中の企画をたくさん抱えて」生き急いでいたジェラール・フィリップは、1959年に36歳で亡くなった。そのあまりにも早すぎた死を悼んで、フランソワーズ・アルヌールは書いている。
映画の彼を観るたびに、私はそのすばらしい存在感に胸を衝かれる。彼は猛烈な遠さで突っ走り、スクリーンが狭すぎるとでも言いたげに動き回っていた。閉じこめられているようで息苦しいと感じていたのかもしれない。彼は、絶えずスクリーンの限界を越えようとしていた。実生活でも、舞台と映画でも、彼は息を切らし、待ち構え、もどかしそうにしていた。いつも、飛び立とうとして羽ばたいていたのだろう。
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あと2冊、「ルネ・クレールの謎」(ピエール・ピヤール著、清水馨・中井多津夫・樫山文男訳、ワイズ出版)と「ワイルダーならどうする?/ビリー・ワイルダーとキャメロン・クロウの対話」(キャメロン・クロウ著、宮本高晴訳、キネマ旬報社)については、もう少しじっくり読んでから、次回で取り上げることにしよう。

フランソワーズ・アルヌール自伝 映画が神話だった時代
カタログハウス
3200円(税抜き) |