雪が降る。ひらひらと画面いっぱいに降りしきる。それもアニメーションの雪である。それだけで、もう、しみじみと心にしみるノスタルジックな童話的風景だ。
『ポール・グリモー短編傑作集〜ターニングテーブル〜』をDVDで見る。開幕の雪のシーンから、あまりの美しさにうっとりと魅せられてしまう。
ハンチングをかぶり、フィルム缶を小脇にかかえた、茶色のクマが人間のように2本足で立って、降りしきる雪のなかを歩いてくる。雪景色の向こうに1軒の小さな家が見える。パイプをくわえた雪だるまが黒い山高帽を手に取って挨拶し、クマを迎える。家のドアには「ポール・グリモー映画社」と書かれている。ドアをあけて、なかに入ると、実写に切り替わり、クマはポール・グリモーになるという、思わずにっこり笑ってしまうような、うれしい出だしである。
そこは小じんまりとした一室――ポール・グリモーのオフィス兼仕事場だ。フィルムの画と音をシンクロさせて小さな画面で見られる編集機――ムヴィオラ――の付いた編集台があり、壁にはアニメーションの開祖として知られるエミール・コールの世界最初の漫画映画(デッサン・アニメ)、『ファンタスマゴリー』(1908)の1コマをブローアップしたものやポール・グリモー自身の長編アニメーション『やぶにらみの暴君』(1952)の日本のポスターなどがかかっている。1965年に私はクリス・マルケルの紹介でここを訪れたことがあることを思いだした。私はそのころ、クリス・マルケルが東京で撮ったドキュメンタリー『不思議なクミコ』(1965)の編集の手伝いをしていた。私が「助監督」として仕事をした唯一の映画である。

『ポール・グリモー短篇傑作集〜ターニングテーブル〜』より |
私がそのとき会ったポール・グリモーは、クマというより、『やぶにらみの暴君』のオウムに似ていたという印象が残っている。のちに改作、改題されてよみがえる『王と鳥』(1979)の、あの、マクベスのもじりといった孤独でうぬぼれの愚者の暴力性を体現したユビュ王のまたもじりといった「王」に対抗する反骨精神の権化のような「鳥」である。
『やぶにらみの暴君』は原作のアンデルセンの童話(「羊飼いの娘とエントツ掃除人」)よりもフリッツ・ラング監督の『メトロポリス』(1926)にヒントを得た作品なんだとポール・グリモーは言った。地上はヴェネチアのような運河に囲まれて暴君の壮麗な宮殿がそびえ立つ楽園都市、地下は太陽のとどかぬ暗黒の貧民街という二重構造の王国は、たしかに、『メトロポリス』の未来都市に似ていた。しかし、『やぶにらみの暴君』は、遺憾ながら、共同で脚本を書いたジャック・プレヴェールと自分の意に反して、プロデューサーが勝手に結末をつけてしまったものなので、これから全面的に作り直すつもりだとのことだった。「やっと映画の権利とネガを買い戻したところだが、資金がなくてすぐには作り直しにかかれない。うんと働いて金を稼がなくてはね」。
ポール・グリモーのフィルモグラフィーを調べてみると、1960年代には作品らしい作品(つまり自主製作のアニメーション)のタイトルがまったくない。コマーシャル・フィルムをつくって「資金稼ぎ」に一所懸命だった時期なのだろう。
パリの映画人は、セーヌ川の右岸(シャンゼリゼ近辺)と左岸(モンパルナス界隈)にそれぞれ本拠地を構え、「右岸派」「左岸派」と呼ばれていた。ヌーヴェル・ヴァーグのゴダール、トリュフォー、シャブロル、エリック・ロメール、ジャック・リヴェット、プロデューサーのピエール・ブロンベルジェらは「右岸派」、アラン・レネ、アニェス・ヴァルダ、ジャック・ドゥミ、クリス・マルケル、プロデューサーのアナトール・ドーマンらは「左岸派」であった。かならずしも対立する陣営ではなかったけれども(ゴダールやトリュフォーはアラン・レネやジャック・ドゥミときわめて親しく、尊敬し合っていた)、なぜか、クリス・マルケルだけは「左岸派」、とくに「カイエ派」つまり「カイエ・デュ・シネマ」誌の一派から憎悪されていた。ジャック・リヴェットがクリス・マルケル嫌いのボス的アジテーターで、『不思議なクミコ』の助監督だったというだけで、私もクリス・マルケル親派としてこっぴどくなじられた。そっけないけれども心やさしいクリス・マルケルに対して、ジャック・リヴェットはしつこく陰険で、意地悪だった。 ポール・グリモーが「カイエ・デュ・シネマ」誌にまったく評価されず、憎悪にみちた批評をこうむったのも、もしかしたらクリス・マルケルとの親密なかかわり合いのせいかもしれない。