映画は、いま、作る時代だ!――と映画館の予告篇の合間に上映される日本映画学校の生徒募集のPRが誇らかに高らかに語りかける。だが、いったい、誰のために作るのだ?
映画を作る人のほうが映画を観る人よりも――バランスからいえば――どんどん多くなるばかりではないのか。
映画観客が激減する傾向を、シネコン(複合映画館)という最新の、というよりはおそらく最後の映画館の形態が防ぎ、救いつつあるという。「キネマ旬報」9月上旬号の「トピックジャーナル」欄でその状況分析を――4人の座談会形式で――おこなっている。
A
しかし、実際のところはどうなのか。
C シネコンによってスクリーンが増加し、
それとともに映画人口を伸ばしていった アメリカと違って、日本はスクリーン数が どんどん増えてはいるが映画人口は増えて
いないのが実情。
B そんなことはない。日本だって、ここ
数年映画人口は盛り返しているよ。
C ないとは言わないが、「もののけ姫」
や「タイタニック」といった作品の力、興 行的成功が大きな要因だ。アメリカ人と日 本人では 映画の接し方が根本的に違うのか
もしれない。
A とはいうものの、シネコンの可能性が
ないわけではないだろう。
C もちろんそうだ。ただ、オープンする
場所の問題はあるだろう。〔……〕可能性 があるとすれば、やはり東京及び関東ロー カルだろう。人口が少ない地域につくって
も、映画人口の掘り起こしには、なかなか つながらない。
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シネコン――シネマ・コンプレックス――は、フランスで生まれ(フランスでは略称シネプレックスである)、アメリカでドライブイン・シアターの延長線上に組織化され、スケールアップされたものだといわれる。広大な敷地が必要なので、東京の都心にシネコンがつくられる可能性は、「トピックジャーナル」のA氏によれば「六本木にシネコンをつくるという話があるね」、D氏によれば「銀座の松坂屋が撤退して、その跡にシネコンができるという噂もあるよ」とのことだが、東大下暮らしの身からすると、国立大学の独立法人化の問題をいっきょに解決するためにも本郷の広大無辺の東大構内に蓮實重彦総長が陣頭指揮に立って30〜50スクリーンもの壮大なシネコンをつくるというような話はないのだろうかと無責任な妄想に近い期待をすることもある。
C ともあれ、21世紀は劇場の過当競争の時代になることは確実だ。
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「劇場」とはシネコンのことなのである。だが、もちろん、いまのところはシネコンだけが映画館ではない。単館・ミニシアターでこそ見ごたえある作品が――とくに古典的名作が――観られるのだ。
東京の単館・ミニシアターでは、BOX東中野のジャン・コクトー/ジャン・マレー回顧上映(『美女と野獣』『オルフェ』『悲恋』)、六本木・俳優座トーキーナイトのフリッツ・ラング特集上映(日本初公開の『条理ある疑いの彼方に』を中心に、『暗黒街の弾痕』『マン・ハント』『死刑執行人もまた死す』『ビック・ヒート/復讐は俺にまかせろ』『大いなる神秘/第1部
王城の掟』『大いなる神秘/第2部 情炎の砂漠』)が必見。世界一高いという入場料金の問題はあるものの、このチャンスを見逃したら、もうその後はたぶん衛星放送やビデオでしか観られないだろうから、映画館のスクリーンの魅惑に向かってファンにとってはあえて急務と叫ぶことにしよう。

彼奴は顔役だ!
THE ROARING TWENTIES
監督:ラオール・ウォルシュ
出演:ジェームズ・キャグニー
ハンフリー・ボガート
1939年 アメリカ
4800円
ジュネス企画
9月11日発売 |
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旧作、というよりも映画史の古典を、私はつねに同時代の新作として観る。それが、「映画」に対する基本的な心得であり礼儀だと思う。
私は、目下、フランス映画史上の最高峰、金字塔的名作として知られる3時間余の超大作、『天井桟敷の人々』2部作(第1部 犯罪大通り/第2部
白い男)の日本語スーパー字幕を翻訳中だが(年末からリバイバル公開されるので、その折りにまたきちんと作品の紹介をさせていただくつもりだ)、そのなかにこんなせりふがある。無言劇――パントマイム――のドタバタ芸についての「古さ」と「新しさ」、いわば古典と現代についての考察である。
「尻も蹴りようひとつで客が笑うものさ。 尻を蹴るにも型がある。調子がある。コ
ツがある。しかし、伝統はすたれた。客は 目先の新しさのみ求める。新しさのみ。
新しさが何だというのだ。古きものが新 しさだ」
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温故知新――古きをたずねて新しきを知る――ということもある。
古典とは新しさの代名詞であり、モダンとはクラシックのことなのだと言ったジャン=リュック・ゴダールの言葉も思いだすことにしよう。
最新の科学技術であるビデオ→LD→DVDによって映画の古典がよみがえってくるというのも、その意味では現代のアイロニーとも言うべき現象か。しかし、1939年のラオール・ウォルシュ監督の
『彼奴は顔役だ!』のようなギャング映画の傑作がついに観られるのだ。この拙稿がホームページ(インターネットマガジン「スロウトレイン」)に出るころにはすでにビデオ発売(ジュネス企画)されているはずである。
日本映画の最も現代的な古典、まさに古典とは新しさの代名詞にほかならないことを一目瞭然の魅惑として納得してしまうにちがいない清水宏の映画も、やっとファン待望のすばらしい1冊
「〔映畫読本〕清水宏」(田中真澄・木全公彦・佐藤武・佐藤千広編、フィルムアート社)が出版されたばかりだが、映画館では観られなくても、ビデオでは20本近くもの作品が観られるはずである。
ビデオでしか観られない映画もあるということなのである。そして、ビデオで観ただけでも、清水宏の映画はめちゃくちゃに(と言いたいくらい)すばらしいのだ。

映畫読本 清水宏
田中真澄ほか・編
フィルムアート社 2800円 |