大高宏雄著
「日本映画への戦略」(希林館)はすばらしく刺激的な1冊だ。映画評論というよりは、著者の言葉を借りればあくまでも「同時代の日本映画」にこだわった時評のひとつの集大成である。どのページをひらいて読んでも、たちまち映画館に向かって走りだしたくなるだろう。
何よりもまず、映画館がそこにある。映画館には、当然ながら、映画を観にくる観客がいなければならない。たとえば――
観客席は、奇妙な静けさでひっそりしていた〔……〕暗闇の中で、お前には各々の観客の反応がすべてわかるなんてことがあり得るのかと言われれば、確かにそうなのだが、場内の空気というものは明快に察知できる。観客の怒り、涙、感動といった反応の数々が、場内の空気に感染していない。それを感じて私は、奇妙な静けさでひっそりしていたと受け取ったのである。(「日本映画への戦略」、P.70)
確かに観客は少なかったのだが、客層に正直驚いた。年配の男女が結構目立ち、いわゆるOL層や大学生を中心とした若い人たちが少ない。チラチラ見受けられる20歳代の観客も、どちらかというといわゆる映画ファンのようで、“ふつう”の一般観客がほとんど見受けられない。これはおかしい。あれだけ業界の中で賞賛され、各マスコミでも高い評価を得た作品がこの体たらくとは、いったいどうなってしまったのか。絶賛された作品が観客と出会わないという、あの典型的な悪しき興行パターンをまたも繰り返してしまったのか。妙な緊張感を抱いて私は作品と対峙することになったのだが、観終った後の印象がまた複雑であった。(P.75)
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日本映画への戦略
大高宏雄・著
希林館 2000円 |
映画が始まって1時間ぐらいだろうか。私の前々席に坐っていた中年男女が席を立った。二人は映画スタート時から映画と相対していたから、前の回に途中から観て、映画が一巡したことで席を立ったということではない。それからさらに数分後、劇場内のあちこちで席を離れる観客の姿が私の目に入った。それは異様な数の途中退場であった。〔……〕日本の映画観客というのはよほどの作品でない限り、原則的には途中退場が非常に少ない。それは我慢強さなのか、入場料金がもったいないと感じているのかよくわからないが、大枠ではとにかく日本の観客は途中では出ていかないというのはよく知られている。それがこの映画では堂々と、次から次へと席を立つ観客が目立ったのである。その数は、私の経験からでもあまり前例のないものであった。未練気なしに、堂々と退場する人たちを見ていて、これは明らかにこの映画に対する観客の拒絶反応ではないかと私は思うようになっていった。気がつけば映画終了時には、ある程度埋まっていた私の周囲では誰も観客がいない状態になっているではないか。(P.90−91)
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大高宏雄氏は、映画館で、観客として、観客とともに、「映画と相対している」唯一のプロの映画評論家なのである。試写 室で映画を観るだけでなく、映画が公開されるや、かならず映画館にかけつけ、観客の反応をじかに感じて観る。映画は単にスクリーンにうつされた孤絶した作品ではなく、スクリーンと客席のあいだに、観客とともに、存在するものなのである。「映画は、映画館という空間性が大きな意味をもつ」のであり、だからこそ「映画の観客論に根ざした論点を押し進めている」大高氏である。