これはすでに公開中の作品なので、急いで「必見の傑作!」と紋切型の常套句ながら叫びたいと思う。走れ、映画館へ
映画があなたを待っているのだ。
その映画とは、何よりもまず、『もののけ姫 英語吹替・日本語字幕スーパー版』である。オリジナル版の『もののけ姫』ではない。もうひとつの『もののけ姫』である。
もはや日本映画ではない
いや、こう言ってよければ、日本の国籍を失って、別の、もうひとつの、さらにグローバルな世界の国籍を獲得したかのようである。英語吹替によってオリジナルの魅力がそこなわれるどころか、その本来の美しさがさらに輝きを増したかのようですらある。もうひとつの、まったく別の『もののけ姫』が見られるのだ。
というのも、日本語をしゃべらない『もののけ姫』を見ながら、私たちはまったく未知の外国語のように英語に耳を傾けることになる。それはまるで音楽のようでもあり、音の出る色彩
のようでもある。せりふを耳では完全に理解できないので、私たちはある種の緊張感とともに聴覚を働かせつつ、眼は画面 に釘付けになる。外国映画のように日本語のスーパー字幕を読まなければならないからである。英語に吹き替えられたせりふをさらに日本語のスーパー字幕用に翻訳した
ということは字数を制限され、簡略化され、したがって強調され、誇張された
日本語の文字を読むのである。
この二重写しのような、オーヴァラップのような音声と文字の重ね焼きが、この、外国映画のような日本映画、あるいはむしろ国際版とでも言いたいような『もののけ姫 英語吹替・日本語字幕スーパー版』の不思議な魅力を生みだしているにちがいない。オリジナルの『もののけ姫』のすばらしさがあらためて認識され、いっそう強く鮮烈に感じられよう。単純に、率直に、「映画」として見て、そのすばらしさにうなった。

『PRINCESS MONONOKE』
アメリカ公開用ポスター |
宮崎駿監督の北米キャンペーン・ドキュメントを20分にまとめた『もののけ姫 in USA』が同時上映されるが、これがまたすばらしく、外国の記者たちに創造(creation)とは何かと問われた宮崎監督が、小さいころからいろいろな映画を見たり本を読んだりして学び、影響され、模倣し、想像力をかきたてられ、インスピレーションを与えられ、いろいろな形でいただいたものを自分なりに消化してまとめ、それを表現して、次の世代に伝え、ゆずっていくことだ、というように答えていたのが、じつに印象的であり、感動的だ。
この見事な「創造」の定義をゴダール流の言葉と映像にすると『映画史』になるのだろう。それも、ひとことで簡潔にというわけにはいかない。饒舌で難解な言い回しがそのまま複雑な映像の積み重ねになり、明晰さをめざしてさらに混沌としていくといった感じですらある。1965年のジャン=リュック・ゴダール監督作品、『アルファヴィル』の冒頭で、全知全能の神のごときコンピュータ、「アルファ60」がこう告げるのが想起される。
「ときとして、現実があまりにも複雑すぎて、言葉による伝達が不可能になる。伝説がそれを新しい形に作り直して世界に波及させるのだ」。
