クロード・ガニオン監督インタビュー



PROFILE クロード・ガニオン

1970年代を日本で過ごす。長編デビュー作『Keiko』('78)が、外国人監督作として初の日本人監督協会新人賞を受賞。1987年、実話に基づくドラマ『ケニー』がやはり外国人監督としてはじめて、モントリオール国際映画祭で最高賞に輝いた。そのほかの監督作に『セント・ヒヤシンス物語』('82)『スロウタイム』('85)などがある。
ある意味私は、映画における成功の犠牲者であったと言えるかもしれません。

―今回の『リバイバル・ブルース』はガニオン監督にとって、『ピアニスト』('91)以来13年振りに日本で公開される作品とお聞きしました。そのあいだの監督の活動について、教えていただけますか?

「確かに沈黙の期間というのはあったのかもしれませんが、私は映画産業のなかで働いていたんです。『ケニー』('87)という作品のあと、私の人生に変化が起きたと言えるかもしれません。『ケニー』がカナダのモントリオール国際映画祭でグランプリを受賞し、日本をはじめたくさんの国で公開されて。そんななか、ある時モントリオールで監督をしている友人から“私の映画をプロデュースする人はあなたしかいない”と頼まれて、引き受けることになったんです。

 ところが、その仕事が終わるとまた別の友人からプロデューサーになってほしいと頼まれて…そんなことが何度か続き、しばらくはプロデュースという仕事をすることになって。政府の方でも、『ケニー』の実績を知っていましたから、私が自国の作品をプロデュースすることについて安心し、好意をもってくれていたようです。しかしそうこうしているうちに、自分の内側からは次々と新たなプロジェクトが湧いてくるのに、それがすべて後回しになってしまう。段々、自分のやりたいと思っていたことができなくなっていくことに対してのジレンマに悩まされるようにもなったんです。ある意味私は、映画における成功の犠牲者であったと言えるかもしれません」

―プロデュース業で多忙な毎日のなかから生まれたプロジェクトのひとつに、『リバイバル・ブルース』があったのでしょうか?

「いいえ。このプロジェクトは奥田瑛ニさんと再会したことからはじまったものです。奥田さんとは『ピアニスト』に出演していただいたのが縁で。それから12年間くらいはまったく会うこともなかったのですが、ずっとよい友人関係を続けていたんです。長い間会っていないと、人は再会した時に以前と違う印象を受けるようなことがよくありますけれど、久々に会った奥田さんはご自分の人生を謳歌されていました。そんな彼に会うことはとても楽しく、お酒を飲みながら、またいっしょに映画をつくろうという話になって。その時はおたがい酔っ払っていましたから半分冗談みたいな感じでしたけれど、それからカナダに帰ってもう一度考え直し、『リバイバル・ブルース』の原案となる短編のようなものを書いたんです。それを奥田さんに見せたら“とてもシリアスで大切なテーマを扱った作品。つくるのは難しいかもしれないけれど、是非やろう”と。私に向かって“日本に戻って来い! いっしょにやろう! 人を集める! 安くてもいいからつくろう!”と言ってくれて、出演だけでなくプロデューサーも引き受けてくれることになったんです。彼の引き合わせで桃井さんとも出会い、彼女がこのプロジェクトに乗り気になってくれたおかげで作品は回りはじめた。すべては奥田さんのお陰と言えるかもしれませんね」

―デビュー作の『Keiko』('78)と同様、今回の撮影でも出演者たちから台詞を引き出す“即興”(※注:次ページ参照)での演技を求められたそうですが、どうして即興を要求されたのでしょうか?

「『Keiko』の撮影にはたくさんの問題がありました。撮影場所が日本という異国の地であること、そして私自身が日本語を書けない。そういうことに、当時、イライラも募っていったんです。そんななか、俳優の演技に対するリアリティ───現実とか真実性、リアリズムということに関して疑問を抱くようになって。リアリティを求めていろいろと考えていくうちに、たどり着いたのが即興という方法だったのです。即興ならストーリーを書くだけで、台詞をこちらで用意する必要はない。物語を書くだけであれば、人に頼んで翻訳してもらうことができる。そうして、自分にとってハンディキャップになっているものを、逆に強みへと変えていくことで、撮影はどんどん楽しいものになっていった。そんな方法を『リバイバル・ブルース』でもやってみようと思ったんです。

 また即興は、それまでの“制限”をなくすことができます。台詞や内容を台本にすべて明確に書いてしまえば、俳優や製作者たちはいろいろと追求したり考えたりすることをやめてしまう。“ここからここまではこう撮影して、次はこうやって撮る”というようにすべてが書かれていればもうそれだけで充分になってしまい、創造性・クリエイティビティといったものが活かされなくなってしまうんです。しかし、即興から生まれる結果は誰にも予想がつきませんから、出演者やスタッフたちは追求したり探求したり、あれこれ考えたりし続けるのです。そういった意味で、即興は現場に刺激を与えられる方法だと言えます」

―なるほど。お話をうかがってると、確かにクリエイティブな試みだと理解できるのですが、出演者の方々は即興という方法に対して不安になったりすることはなかたのでしょうか?

「桃井さんは以前から即興でやることに興味をもっていたようで、奥田さんもまったく怖がる様子もなく。内藤さんはちょっと怖がっていたのかもしれません。彼は主役で、すべてのシーンに登場しますから、撮影中は演技のことについてよく話し合いをしましたね。

 俳優たちは無防備に近い裸の状態で演技に臨んでいたわけですが、彼らにはよりよいもの───なにかいいものをつくり出したいという欲求があって、そしてそれぞれ自分の限界を超えたいという気持ちで参加していたのです。それでも撮影中にはやはり誤解というものが生じ、俳優の演技が私の求めているものから離れてしまったり、行き過ぎてしまうこともたびたびありました。例えば奥田さんが電話を使うあるシーン。彼はとても攻撃的な演技をしましたが、それはちょっと違うと。撮影を中断して話し合いの結果、奥田さんが私のアイデアを用いて演じるととてもよいシーンが撮れたんです。

 私自身、一番えらいボスになりたいわけでもなく、そんな権力に惹かれているわけでもない。ただ、いい映画をつくりたいということだけに興味があってしたことで、俳優がそのことを理解し、自分を信頼してくれればすべてはスムーズに動き始める。なにか問題が発生した時には私が俳優たちを元の場所に引き戻して来たり、良くなければ良くないと言ってやめさせて、おたがいに新しいアイデアを話し合って撮り直す。やり直しがきくということを知ったうえで撮影は進められましたから、即興という方法であってもいい関係を保つことができました。もともと古い友人だった奥田さんとは、またそういった意味での信頼関係を築くことができましたよ」



NEXT >>


「スロウトレイン」に掲載の記事・写真・カット等の無断転載を禁じます。© Works m bros.