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  60〜70年代に香港、台湾、日本などアジアの映画界を席捲したアクション・スター、ジミー・ウォング。
“天皇巨星”とまで呼ばれた彼が、昨年11月の東京国際ファンタスティック映画祭2003「映画秘宝スペシャル ギロチンまつり」のゲストとして来日!
今回の“〜ギロチンまつり”で上映された『片腕カンフー対空とぶギロチン』で見られる、キックボクサーやヨガの達人が出場する異種格闘技大会、次々と人間の首を斬る武器“空とぶギロチン(血滴子)”の登場など、奇想天外なアイデアを詰め込んだサービス満点な彼の作品スタイルは数多くの映画人に影響を与えている。クエンティン・タランティーノが『片腕カンフー〜』を絶賛しており、『キル・ビル』で“空とぶギロチン”をモデルにした鉄球を栗山千明に振り回させてオマージュを捧げていることは、映画ファンなら誰もが知っているだろう。
そんな、アジアのみならずハリウッドからもリスペクトされている彼に迫ってみた。


PART1:恵まれた映画デビュー

−まずは、ジミーさんが映画界へ入ったきっかけを教えていただけますか?

大学時代に水泳をしていて、香港の大学水泳選手権ではチャンピオンになりました。平泳ぎとバタフライのチャンピオンで、香港の水泳年鑑を調べれば記録が残っているはずです。ところが大学3年生の夏、試合の最中に相手と喧嘩して出場停止処分を受けてしまったのです。それで、何もすることがないのでショウ・ブラザースの新作『虎侠懺仇』(※1)のオーディションを受けました。このオーディションはカンフーができるのが条件で、5000人の応募者中から合格したのは私を含めて2人でした。まったく演技の経験はなかったのですが……まぁ、運が良かったのでしょう。ほかの俳優は養成所を出たり、脇役などで経験を積んでから主演作をつかむものですからね。
 




※1 『虎侠懺仇(フゥシアジエンチョウ)』(64年・未公開)……ジミー大先生との黄金コンビで『大刺客』『獨臂刀』『金燕子』などの傑作を次々と連発し、ショウ・ブラザースの黄金時代を築いた香港映画界の巨匠チャン・ツェーの代表作。彼の実質的デビュー作で、父を殺された男の復讐譚とのこと。ジミー大先生によれば、この作品の前にチャン・ツェーが監督した『蝶蝶盃』は出来が悪いとしてフィルムを焼却されてしまったそう。

−ジミーさんは『濁臂刀』(※2)の大ヒットでスターとなりますが、この作品のアイデアはどこから生まれたのでしょうか?

“片腕”という主人公の設定は、金庸(きんよう)の武侠小説からヒントを得ています。その小説に片腕の人物が登場してくるのですが、それを参考にしたのです。ただ、映画のストーリーと小説に関連性はありません。

−『濁臂刀』では片腕を縛って撮影していますが、その状態でのアクションは大変だったのでは?

手を前に縛るのと、後ろに縛るのでは大変さがずいぶん違いましたね。前縛りだと左腕だけでも何とかなるのですが、後ろに縛るとバランスが取れなくなってしまうのです。なので、ロングショットの時は前に、アップの時は後ろに縛るようにしていました。アップの際に後ろに縛っていないと、腕があるのがばれてしまいますし。ただ、後ろだとバランスが取りづらくて走るとよく転んでいました。
 
※2 『獨臂刀(ドゥビーダオ)』(67年・未公開)……ジミー大先生をスターダムに押し上げた作品で、続編『獨臂刀王』も製作された。右腕を失った青年剣士が、片腕だけでも剣を操れる剣術を編み出した後に、父を殺した敵でもあり恩師の道場乗っ取りを企む武道家集団に闘いを挑むというストーリー。是非とも、日本版DVDを出していただきたいところ。

−ジミーさんが勝新太郎と共演した『新座頭市 破れ!唐人剣』(※3)は、われわれ日本人にとっては非常に感慨深い作品なのですが、この企画は誰が立てたのですか?

ゴールデン・ハーベストの社長、レイモンド・チョウが企画しました。当時の勝さんは『座頭市』で日本を代表するヒーローとなっており、私も『濁臂刀』のヒットによって香港、台湾をはじめとする東南アジアで大人気。そんな2人を戦わせたらどうなるだろうと考えたのです。

−レイモンド・チョウが勝プロに企画を持ちかけたのですか?

たぶん、最初に大映へ話を持ちかけたと思います。それから、勝プロへ話が流れていったのでしょう。ちょうど、勝さんもそれまでの枠を超えるような『座頭市』を作りたがっていて、実現したのです。日本ではどうかわかりませんが、この作品は香港と台湾では記録的な大ヒットを飛ばしました。

−勝さんと演技的アドバイスを交わすことはあったんですか?

互いにアドバイスしましたし、役柄について意見が食い違うこともありました。日本サイドのアクション監督とも、「刀の振り方が中国では違う」などとディスカッションをしましたし。でも、最後のほうはみんなで一丸となって撮影を進めました。

−撮影が終わった後、勝さんと一緒に飲みに出掛けたりもしました?

毎晩、一緒に飲んでいました。勝さんもかなり飲めるけど、私ほどではなかったですね。彼はウイスキーしか飲まないのですよ。私はブランデーを一晩で2本くらい空けた記録を持っていますからね。勝さんはいつも赤坂のコパカパーナに連れていってくれました。広いテーブルを貸し切って、周りに誰も座れないようにして2人だけで飲んでいましたね。

−『新座頭市 破れ!唐人剣』にはエンディングが2つありますが、そうなった経緯は?

それは簡単なことです。座頭市は日本ではヒーロー、負けるわけにはいかない。私も負けたら、香港、台湾などの東南アジアの客は観てくれません。それぞれのマーケットに配慮して、2バージョンのエンディングを用意したのです。日本公開版は勝さんが先に倒れ、私が立ち去るかと思いきや、足から血を流し、そして勝さんがまた立ち上がる。香港版は勝さんが倒れて私が去るという形で、その先のことは描かれていない。座頭市がケガをしているだけなのか、死んでいるのかわからない、どのようにも解釈できるようになっています。

−『新座頭市 破れ!唐人剣』に出演する以前から『座頭市』には親しんでいたのですか?

すべて観ていました。私が映画界入りする以前にも香港で上映されており、かなりヒットしていたと思いますよ。

−出演して、後の映画製作のヒントになるようなものはありましたか?

仕事の進め方ですね。細かいところまでちゃんと固めてからロケにのぞむという、用意周到な日本の撮影スタイルは非常に参考になりました。
 
※3 『新座頭市 破れ!唐人剣』(71年)……ジミー大先生と勝新太郎が共演という、考えれば考えるほど凄い顔合わせの『座頭市』シリーズ第22作。日本に渡ってきた片腕の中国人剣士が、座頭市と知り合って友情を育むものの、言葉の違いから生じた誤解によって闘わざるをえなくなる。香港では『獨臂刀大戦盲侠』という日本人にはえらくインパクトの強いタイトルで公開され、71年の配収第4位を記録している。


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