2001.12.28 UPDATE





取材・文/宇都宮秀幸(編集部)
text by Hideyuki Utsunomiya



篠崎誠 Makoto Shinozaki
1963年、東京都生まれ。学生時代から自主映画を製作し、映写技師、映画ライターなどを経て、自ら製作資金を集めた『おかえり』('96)で監督デビュー。精神を病んだ妻と、それを見守る夫の姿を描いたこの作品で、ベルリン映画祭ほか、各国で高い評価を得る。ほかにテレビドラマ『恋、した。・ブラディーマリーの誘惑』('97)や、映画『菊次郎の夏』のドキュメンタリー『ジャムセッション』('99)などの作品がある。
篠崎監督とは、筆者が駆け出しの編集者、篠崎氏が映画ライターという関係で、数年前からの知人であった。まだデビュー作の『おかえり』('96)が撮られる前、篠崎氏は「いつか老人の映画が撮ってみたい」と何度も口にしていたことを記憶している。

ご存知の通り、『おかえり』は高い評価を得て、篠崎誠は新進気鋭の映画監督となる。そして、何年かのブランクがあった後、あの頃、彼が口にしていた“老人の映画”がついに現実のものとなったのだ。

映画『忘れられぬ人々』は、期待を超える素晴らしい映画になった。戦争体験を抱えた3人の老人と、彼らが対決することとなる現代の巨悪。そう物語の骨格を書いてみても、この映画の魅力は何も伝わらない。シネフィルが狂気する映画的興奮がつまった作品でありながら、『忘れられぬ人々』は脆弱なフィクションではなく、我々の生きる現実に、激しく問いかけを投げつけるリアルな映画である。だからこそ、こんなにも心を揺さぶるのだ。




ある人が『マグノリア』みたいな映画だねって。
決定的なラストに至るまでの、逆算の映画なんですよ。


―「忘れられぬ人々」、まず感想を言わせてください。この映画を見て、自分の現実とすごく地続きな気がしました。自分が日々感じているモヤモヤの、その正体みたいなものと関係があるというか…。つまり、無茶を承知で言ってしまえば、これって“戦後の50年間に落とし前をつける”映画だな、と思ったんですよ。

「そうですね。本当にそう言ってもらえるとありがたいです。僕はどうしたって、まだ30代後半だから、この映画のために、本当の戦争体験者の方にインタビューしてたくさん話を聞きましたけど、でもやっぱりわからないじゃないですか。戦争も、自分自身を通してでしか、理解できない。確かに、戦後というか、今の日本の閉塞感みたいなものは背景にあると思います。でもそれも、決して、新聞の社会面とか報道番組みたいな難しいものじゃなくて、いわゆる娯楽…、つまり映画としてちゃんと面白いものとしてやりたかったんですよ。

自分が、まさに日常で抱えこんでいるモヤモヤしたものをうまく出したい。だからといって、等身大の映画を作るっていうことじゃないと思うんです。映画って、監督がすべてをコントロールできたり、監督の想像力にすべて収まってしまうようなものじゃない。映画のほうが、監督である僕よりも大きいもの、すごくデカイものだよなって感じがするんです。だから、ただ単に面白かったってだけじゃなく、そう言ってもらえるのはすごく嬉しいです」

―篠崎さんが、以前から言ってらした“老人の映画”ですが、もともとのアイデアは、どのあたりから生まれたのでしょう?

「この映画のネタ自体は、僕が学生時代に8ミリで作ってた頃からあったものなんです。やっぱり当時だったら、任侠映画だったり、『ワイルド・バンチ』や、『昼下がりの決闘』なんかもありますが、あれも老ガンマンの話じゃないですか。ある意味では、お約束で昔からありますよね。ある種、第一線から外れたと思われている人が、自分の意地とかプライドを賭けて誇りを取り戻すための戦いをする。そういうものが僕はすごく好きで、こういうものを日本でも、できないかなって思ったのが出発点ですね。なんとなく、絵柄的には、最後におじいちゃんが後生大事に持っていたハモニカを、子供に渡すっていう場面だけがありました。それがずっと自分のなかで生き続けていて、飲んだ勢いで、こんなのやりたいんだと、誰かに話したり…。実は『おかえり』の時も、『忘れられぬ〜』のアイデアをスタッフに話したら、そっちのほうが全然面白そうじゃないって言われて、えらく落ち込んだときもあったけど(笑)」

―この映画って、何も事前に知らないで観ると、すごく驚きますよね。老人のしみじみした人間ドラマだと思っていると、悪い宗教団体が出てきて、お話が思わぬ方向に動き始め、最後にあの“決闘”に至ってしまう。一見、オーソドックスな話に見えるんだけど、実はまるで観たことがない、現代的な映画だと思います。

「だから、逆算なんですよね。ラストが始めに決まっていて、そこに至るまでのドラマなんですよ。シナリオを読んだある人が、『マグノリア』みたいな映画ですねーって言ったんです。要するに最後の瞬間まで、どうなるかわからないって。『マグノリア』の場合はカエル、この映画の場合は数発の銃弾、それで一気に決着がつく。決して、おじいちゃんたちが過ぎ去った日々を回想して、日向ぼっこして俺たちの若いころは…って言ってる映画ではないんですね。

宗教団体については、さっき任侠映画みたいなものと言ったけど、今の時代では、かつての任侠映画的なものをそのままなぞっても、リアリティは出ないんじゃないかと思ったんです。単なる悪役っていうのは、もはや存在できないんじゃないかというのがあって。被害者、加害者っていう分け方は簡単にはできないし、善と悪って常に入り乱れている。戦争なんかまさにそうで、それぞれの立場に立ったら、両方が正義だということになってしまう。そういう中で、登場人物のおじいちゃんたちをあまりヒロイックにしてしまうと、つまり、悪い奴がやっつけられてよかったよかったにしちゃうと、それもリアリティが出ないかなと。よくできたお話にしかならないじゃないですか」





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