2000.9.30 UPDATE





取材・文/杉森直行
text by Naoyuki Sugimori


10月14日からロードショー公開される『インビジブル』のポール・バーホーベン監督が来日した。『ロボコップ』『トータル・リコール』『氷の微笑』などの大ヒット作を放ち、前作『スターシップ・トゥルーパーズ』では人類と巨大昆虫群との死闘を驚異的なCGで描き、SF映画に新たな“傑作”を仲間入りさせた。そんな彼が、今回選んだテーマは“透明人間”。ドラキュラやフランケンシュタインのように、これまで幾度となく映画化されてきた人気(?)キャラクターだが、“過激なバイオレンス”“度を超したエロス”などと評されるバーホーベンだけに、映画の内容はだれにも想像がつかないと思う。そこで、最新インタビューを届けるとともに、バーホーベンの魅力を紹介しよう。
 

ポール・バーホーベン PAUL VERHOEVEN
1938年オランダ、アムステルダム生まれ。数学と物理学の修士号を持つ。大学在学中に映画に興味を持ち、数本の短編作品を撮る。64年に大学を卒業し、オランダ海軍に入る。撮影部に配属され、ドキュメンタリーを手がける。除隊後、テレビ界に入って番組制作に携わる。第2次世界大戦中、ナチスに協力したオランダの悪名高き売国奴を描いたドキュメンタリー『MUSSERT』で注目される。69年にルトガー・ハウアーと初めて組み、冒険シリーズ『FLORIS』を成功させる。71年に『WAT ZIEN IK?』で劇場映画デビュー。続いて撮ったルトガー・ハウアー主演の『危険な愛』('73)が、アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされる。『娼婦ケティ』('75)の後、第4作『女王陛下の戦士』('79)がゴールデン・グローブ賞にノミネートされる。『スペッターズ』('80)を撮った後、第6作『4番目の男』('82)でアヴォリアッツ国際ファンタスティック映画祭審査員特別賞、LA映画批評家協会賞外国語映画賞などを獲得。そして、『グレート・ウォリアーズ 欲望の剣』('85)でハリウッド進出。『ロボコップ』('87)で世界中の注目を集める。続く『トータル・リコール』('90)も大ヒットさせ、『氷の微笑』('92)では議論を巻き起こす。だが、続く『ショーガール』('95)が酷評され、ラズベリー賞(最悪映画賞)の7部門を独占。『スターシップ・トゥルーパーズ』('97)の後、『インビジブル』('00)を発表した。


 
この作品は途中で主人公が入れ替わってしまう
こんな物語展開はアメリカ映画にはなかったと思うよ


−あなたは画家志望だったということもあって、目に見えるものを映像化の対象にされてきたように思うのですが、今回の対象は透明人間という目に見えない存在です。その部分を含め、どのように映像化するのか、こちらは大いに興味をかき立てられました。

 映画化に当たり、まず思ったのは、透明人間が主人公だったとしても、映画の最初から終わりまで姿が見えなかったら面白くないということ。だから、透明であっても姿が見えるような描写はできないものか、脚本家の(アンドリュー・W・)マーロウとじっくり話し合った。その結果、スプリンクラーやプールに絡めて水を使ったり、透明人間が血をなめるといった行為を考え出したんだ。そして、一瞬だけ姿が見えた後に再び消えるといったような、“見える、見えない”を繰り返すのがいいだろうという結論に達したのさ。なんといっても、なにも見えない状態は退屈だからね。脚本を練り上げていく過程で、“見えた、見えなくなった、見えた…”という波を作っていったんだよ。

−では、最初の脚本はあまり詳細ではなかった?

 いいや、かなり書き込んではあったんだ。ただ、最初にマーロウが書いていた透明人間に対するサラの描写が問題だった。というのも、まったく見えない相手に向かって、サラが一人で格闘しているというものだったので、それでは視覚的に面白くないと感じたんだ。そこで解決するには、透明人間の姿を見せようと思ったのさ。だからマーロウに対して、透明人間に血を浴びせて姿が見えるようにしようと提案し、脚本を書き直してもらった。でも、私が変更要求したのはそのシーンぐらいで、脚本の残りの部分はマーロウが書いたままだよ。彼は“観客が退屈にならないように”というコンセプトをじつによく理解していたからね。

−映画では最初、ケビン・ベーコン演じる博士が自分勝手ではあるけれど、ヒーロー的な主人公として描かれますが、途中から観客はエリザベス・シュー扮するヒロインに感情移入するように作られていますよね。

 そうなんだ。観客は最初ベーコンに感情移入しているが、途中からエリザベス・シューにシフトすることになる。だからマーロウは脚本を執筆する際に、観客が感情的に“同盟”を結ぶ瞬間を、いかにうまく書き込むかに最も気をつかっていたんだ。つまりセバスチャンという博士に対して、観客がどうもこいつはヒーローとは違うのではないか、こいつと組んでいるのは嫌だ、一緒の側に立ちたくないといった居心地の悪さみたいなものをね。だから、観客の気持ちの盛り上げかた、ベーコンに対する嫌悪感を、いかに自然にエリザベス・シューのほうに向かわせるかがカギだったんだ。うまく表現できれば観客は当然、彼女に味方するわけだからね。

 こんなストーリー展開は、これまでのアメリカ映画にはなかったと思う。アメリカ映画では主人公は最初から最後まで同じで、この作品のように主人公が入れ替わるというのは非アメリカ映画的なんだ。しかし本作の場合は、観客にはっきりと“セバスチャン博士を捨てないとならない”と告げている。両者とも“善”ということはあってはいけないからね。“乗っていた車から降りて、別の車に乗り込む”というくらい、観客がはっきりと感情移行できるよう意図したんだ。

−そこで思い当たるのが、ヒッチコックの『サイコ』('60)です。あの映画でも、ジャネット・リー演じる(主人公の)女性が殺された後、(彼女を殺した)ノーマン・ベイツ(演じるのはアンソニー・パーキンス)に物語の主軸が移行していきますよね。やはり、ヒッチコックの影響を受けているのですか?

 イエス! 彼の作品は、ず〜っと観ているからね。

−『トータル・リコール』('90)のなかに、シュワルツェネッガーが火星に着いて列車に乗るシーンがあって、車内の彼を捕らえていたカメラが窓際から車外へと遠ざかっていきますよね。今回も、ベーコンが車で研究所に向かうシーンで、ワシントンのビル群を捕らえていたカメラが移動しながら彼の車に近づいていく。こういった描写も影響を?

 明らかにその通り。『氷の微笑』('92)が最も顕著な例で、あの映画は(ヒッチコックの)『めまい』('58)に影響を受けているだろう? でも、それは意識的にヒッチコック的にしたいと思っているわけではないんだ。じつは、今でも彼の映画を何度も繰り返し観て研究しているんだが、おそらくその影響で無意識のうちにヒッチコックの映画が染み込んでいて、自然と似たような描写になるのだろうね。

−あなたの映画にはユーモアがつきものですが、今回は自作のパロディ的なシーンがあります。博士の向かいのアパートに住む女性が、歩きながら服を脱いでいく様子をカメラが移動しながら追う。しかし、いよいよという瞬間にブラインドが下ろされて見えなくなってしまう。これは『氷の微笑』とまったく同じですよね。

 もともとが『裏窓』('54)のコピーでね。でも今回は、セットを作ってもらうときにプロダクション・マネージャーに『裏窓』を観てもらって、博士の部屋と向かいの女性の部屋との距離を全く同じようにするよう頼み込んだんだ。こんな具合に、私にとってヒッチコックは常に頭のなかにあるんだ。そして、自分の映画とスタイル的に最も近いのも、やはりヒッチコックなんだ。特にスリラーやサスペンスの部分がね。それに、彼の中期作品はかなりカメラを動かしているが、編集で観客を驚かすという手法もヒッチコックと似ているところだろうね。


 


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