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米国インディペンデント映画界の気鋭ケヴィン・スミス監督…と書き出したところで、この日本では、まだまだ(?)マークを頭に浮かべる人が多いだろう。では、「サイレント・ボブ」なる男ならどうだろうか。なにかのスクリーンの中で、ずんぐりとした熊のような容姿で、一切喋らぬ
この男なら、淡くも記憶している人もいるかもしれない。そう、例えば今年公開された『スクリーム3』。映画会社のスタジオツアーに、下世話なお喋りをまくし立てる男(というより小僧)と一緒に参加していた、あのコミカルで、どこかオタク風な男のことだ。
実は、彼こそが前述したケヴィン・スミス監督なのだが、この「サイレント・ボブ」なるキャラクターは、彼自身の作品で生まれ、デビュー作『クラークス』から、今迄作られた全ての作品(といっても4作品だけど…)に登場しているのだ。自作に出演する監督といえば、クエンティン・タランティーノが思い出されるが、この2人、何かと酷似しているものが多い。と言うか、作品の質感に同様のものを感じたり、両者に触れた時期が同じとあってか、なにかと比較してしまうきらいがある私なのだった。溯ること6年も前からである。
それは1994年。ケヴィン・スミスは、この年に、デビュー作『クラークス』を完成させサンダンス映画祭に乗り込んだ。大賞こそ逃したものの、批評家及びプレス関係者からは絶賛され、翌年のカンヌ映画祭に出品、大手映画会社ユニバーサル映画との契約を取りつけ、いきなりの快進撃を見せた。もちろん、日本で開催されるサンダンス映画祭にも、彼は重要なゲストとして来日を果
たしている。
その年、世界を席巻したのは、クエンティン・タランティーノ監督の、本当の意味での出世作『パルプ・フィクション』。タランティ―ノ監督の愛する映画達、愛する監督達の手法への、オマージュに次ぐオマージュが溢れたこの作品は、私にとってはB級傑作にほかならなかった。そんな作品が、ハリウッドのメインストリームに躍り出るとは、いささか納得いかないものを感じていたのだ。唯一、そこにタランティーノの抜きんでた才能を見るならば、どうでもいいお喋りが延々続く会話の妙でしかないと、私は思っていた。
そんな時だ。世界中がタランティーノ熱に浮かれている中で、ケヴィン・スミス監督デビュー作『クラークス』に出会った私は、新鮮な衝撃をそこに得ることができたのだ。
物語も、舞台も、脚本も、出演者も、演出も全てがシンプルでチープなものだった。おまけに、監督ケヴィン・スミスという人が、いかに映画、そしてコミックをオタク的に愛しているかも作品から容易に伺えるものがあった。それ故に、当時一世を風靡していたタランティーノ監督とだぶらせ、比較して見てしまうものがあったのだが、私にはケヴィン・スミスという監督の方が、そうした深い愛情、オマージュ的なものを昇華させた上で、よりオリジナリティー溢れる世界を、そこに作り上げることができるように感じられた。類まれなる才能、センスの持ち主だと信じて疑わぬ
程の衝撃を、映画を見て瞬時にして感じてしまったのだ。
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