2000.7.8 UPDATE




取材・文/岡田聡(編集部)
text by Satoshi Okada

イギリスのクラバーたちのありのままの日常を描いた『ヒューマン・トラフィック』は『トレインスポッティング』的な快楽主義で突っ走る若者の悲喜劇を描いた映画ではない。むしろクラブ・シーン=ドラッグ&バイオレンスというお決まりのイメージに対し、「NO!」と叫ぶ作品である。ただひたすら「人生を肯定しよう」という、殆どやけのやんぱち、馬鹿馬鹿しくも楽天的な態度に満ちているのだ。
弱冠24歳のジャスティン・ケリガン監督は、現実社会への不安や恐れを無視するかのように、自分の体験を素直に、それこそクラブで夢中で踊るように描き出し、誰もが共感できる映画を作ってみせた。クラブ・カルチャーを描いて成功した数少ない作品である今作の単純なる欲望とは?

アート・スクールの1年生だった時にビデオカメラを初めて手にし、そのカメラで撮った短編映画が認められ映画学校へ入学。同時にBBCウェールズでの放送も決定。その後も短編映画を撮り続け、「Life in the Bus Lane」ではウェールズ国際映画祭でディビス短編映画賞を受賞。処女長編となる今作は、本国イギリスで若者を中心に熱烈な支持を集め大ヒットした。



 
この作品のインスピレーションは仲のよい友人たちから得ました

−日本に滞在されて数日たちますが、どこか行かれました?

 まず新宿のクラブ「CODE」にいきました。壁一面のスクリーンへのプロジェクターによる映像投射があってすごくきれいだったし、ドラッグクィーンの人達が踊っていて、すごく面 白い光景で楽しめました。日曜日には『ヒューマン・トラフィック』のプロモーションイベントの“THINKING EVOLUTION”というレイヴ・パーティが代々木であり、2万人くらいの人が集まったのですが、皆さん喧嘩もせず、一切のバイオレンスもなく素晴らしいイベントができました。日本の人達はお互いを傷つける事なく素直な気持ちで集まって楽しめる事ができて、それはとてもいい事だと思いましたね。あと数日間、日本にいるのでまだ行った事のない場所へ行ってみたいと思います。

−クラブ・シーンの申し子だった貴方の、映画との出会いを教えて下さい。

 私は子供の頃から絵を書く事が大好きで、ペインティングで生計をたてていくものだとばかり考えていました。学校でもアート&デザインのコースを取っていたんです。ある時、友人が中古のビデオカメラを手に入れて、それを貸してもらって色々と撮っているうちに、映像の方が、自分の言いたい事をより早く表現できると思ったんです。絵を描くときみたいに時間がかからないですから。その時点で筆を持つ事はなくなったという位 に、ビデオやフィルムを使っての自分の表現に共感したんです。その後はアートスクールを卒業したものの、映画をつくる経験はなかったので、フィルム・スクールにいこうと思って、近くにあった映画学校全部に願書を出しました。だけど全部ダメでしたね。それから1年間ほど、映画に出てくるようにハンバーガー屋でバイトしたりジーンズを売ったりして生計をたてながら自分なりに映画を撮っていたんです。そしてまた映画学校に願書を出したところ、そのうちの1つに受かって、そこでしっかりと映画製作を学ぼうと思いました。

−処女長編を撮るにあたって、不安はありましたか?

 
初めての長編で撮影前は本当に怖かったというのが正直なところなんだけど、いままでこの為に俺は苦労してきたんだと思って頑張ろうと思ったんです。でもいざ撮影に入ると自分の思い通 りに進まなかった。ある時などスタッフに「ちょっとトイレに行ってくる」って言って、トイレの鏡の中の自分に向かって「できるのか?大丈夫か?」って話し掛けてましたね。でも自分のインスピレーションは『ヒューマン・トラフィック』でも描いているように、仲のよい友人たちから得たものです。彼らがジャスティン、頑張れ!と言ってくれたので撮影に戻ることができた。まあ結局はトイレから出れば、色々な人達から監督、監督、あそこは?ここは?という質問攻めに合うという感じになりましたけどね。 撮影初日は胸一杯で心がウキウキしいて、とても元気だったんだけど、撮影が始まって2週間くらいで突然40歳ぐらいなったという感じで激痩せしたんです。体にも辛かった仕事だったけど、精神的にもすごく疲れましたね。

 


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