2000.3.1 UPDATE


取材・文/岡田聡(編集部)
text by Satoshi Okada


「私は常に現実に希望を見ていたい」そう話す塩田明彦が描く世界はどこまでも非楽天的だ。だが現実と、それに反する理想が向かい合うとき、彼はその事態に楽天的な祈りを捧げてみせる。それは決して共感や慰みではない、過去への決別 と新たな一歩を踏み出すための自分への鼓舞、叱咤のように思える。
 塩田明彦の長編第一作『月光の囁き』と、第二作『どこまでもいこう』は昨年度の日本映画の中でも、人生における変化の力学を愛情を持って見つめる事において、また一つ一つのシーンの描写 力においても傑出した作品だ。学生時代から自主映画を製作し、その後、助監督、脚本家、撮影監督として実力を培ってきた彼が、才能をいかんなく発揮させた二作について聞いた。
 


1961年、京都生まれ。大学時代に黒沢清、万田邦敏らと共に自主映画を製作。「ファララ」('83)で注目され、助監督、脚本家、撮影監督として活躍。昨年『月光の囁き』『どこまでもいこう』で劇場用映画デビュー。



 

すべてが最初から明確ならば映画など撮らない
撮りながら色々と発見していくわけですから

―デビュー作での苦労話など思い出す事はありますか?

 今回は両作あわせるとかなりの映画祭に行くんですが、一度そこそこの映画祭に出て評価されると、次々と話がまわってきて次作への時間がとれないという事があります。ただもう一方で映画祭で様々な質問をされて初めて「あ、俺がやりたかったのはこういうことなんだ」と自分で気付く瞬間もありましたね。『月光の囁き』ではトロントに行ったんですが、ブラザーな感じの黒人のお客さんとかがいて、こういう人達に日本のマゾ映画はどう受け止められるかこちらにはさっぱりわからない(笑)。でも上映してみると評判が良かったりする。そういう異質な客層と出会う中で自分の映画のとらえられ方を見ていくのは、今後の糧になるような気はしています。

―ではけっこう異文化圏でもわかっている人はわかっているなというのはありました?

 意外なほど分かってくれるんですよね。実際にイランでは子供たちと交流したんですが、思ったほど異文化でもないと感じました。例えば女の子の男の子に対する見下し方など日本にそっくりで、お互いの意識の仕合い方、距離の取りかた、男の子は比較的ばらけていて女の子はタッグを組んで固まるなど、結局、本質は何も変わらないんですよ。

―各国の映画祭を回られて監督が驚くような質問をされたことは?

 最初にすごく戸惑ったのは「何故それを撮ったんだ」という、それが大事と言わんばかりの、そこでどう言うかによってこの映画の評価は決まるんだという類いの質問です。特に西洋の人が訊いて来る。私がどう撮ろうと出来上がったものでの判断だろうと思うんですが、とにかく何故だ何故だと聞いてくる。これは単純にその訊き方に戸惑いました。撮りたいというものがまずあって、何故があるわけではないんですから。ただ、すべてが最初から明確になっていたら映画など撮らないでしょう?撮りながら色々と発見していくわけですから。

 


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