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−−『キネ旬』で一番最初に書かれた原稿って覚えてます?
“ワールド・レポート”というコーナーで、'72年の夏でしたね。要するにアメリカの業界紙である『バラエティ』とか、ああいう雑誌から記事を抜き出して翻訳するんです。それが『キネ旬』での最初の仕事。
(『キネ旬』'72年8月上旬号を見ながら)これを書いたおぼえはありますよ。この号のコーナー担当は3人ぐらいいたから、どこを書いたのかすぐにはわからないけど。このバート・ケネディの記事はぼくですね。バート・ケネディなんてほかに書く人いないから。この号では『ハニー・コールダー』(日本未公開)の記事だけだったと思う。
ニュース的なことではなく、自分の趣味的に向こうの批評を短くまとめることの方が多かった気がするなぁ。“ワールド・レポート”っていうわりには、あまりニュース性のないものを勝手に訳してたという…(笑)。ジョン・フォード関係の単行本から抜粋したりとかね。あと『断絶』('71)っていう映画がペーパーバックになったんで、それからちょっと抜いたり。いまだと著作権に引っかかるかな。
−−翻訳ってことはその当時から英語ができたんですか?
できないですよ。いまでもしゃべれません。翻訳は辞書を引けばなんとかなるから。『バラエティ』なんかは文章としては簡単なものばかりですからね。
−−“ワールド・レポート”はいつまで?
1年ぐらいかな。それと並行して“シナリオ採録”や短い批評を書くようになったんです。(批評は)ロバート・カルプとビル・コスビーの『アイ・スパイ』っていうテレビ映画を映画化して、カルプが監督した『殺人者にラブ・ソングを』('72)が最初でしたね。
−−“シナリオ採録”って書く人によってずいぶん違うと聞きますが…。
そりゃ、当然そうですよ。だってその人が見て書くんだもん。セリフだって、読者には画面が見えてないわけだからスーパー字幕のままではわからない。だから適当になおして書くんです。というか、ぼくはせっかく原語のスクリプトを貸してもらえるわけだから、字幕にはいりきらなかった情報(固有名詞とか)もひろうようにして、たいてい自分で訳しなおしてました。
それから、全部入れようとしてもページ数に制限があって、載せられない場合がある。そうすると自分で適当にカットしていかないといけない。そういったいろんな要素で、やる人によってずいぶん違うものになる。まあ、一番違うのはト書きの部分でしょうけどね。ぼくは変に詳しく書く方だったな。
−−キャメラワークとか、細かいところまで書いてますよね。
初めてやったときはすごく時間がかかってね。サボっていたわけじゃなくて…。『ポセイドン・アドベンチャー』('72)が最初だったんですけど、1カットずつちゃんと頭に浮かばないと書けなかった。でも、そういうやり方じゃダメだって、すぐわかりましたけどね。
−−何回、映画を見たんですか?
3回かな。FOXとかメジャーのスクリプトってすごく細かく書いてあるんですよね。1カットずつ。全部ト書きというか場所と人物の説明があって、セリフがあってっていう。だからそれを読んで、頭の中で場面を再生してると、ものすごく時間がかかるのね。ただ、結局、細かく書いてもページがないから、採録のベテランで“指導教官”役だった三木宮彦さんにバッサバッサと切ってもらって、やっと載ったという。 |
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キネマ旬報 八月上旬号
(キネマ旬報社)
1972年 NO.584 |
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監督:村上靖子
※自主映画 |
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監督:大林宣彦
※ビデオ廃盤 |
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監督:青山定司
※自主映画 |
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(C)大映
監督:磯村一路
※ビデオ販売中 大映 ¥3800 |
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(C)オムロ
監督:荻野洋一
※自主映画 |
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キネマ旬報 八月上旬号
(キネマ旬報社)
1973年 NO.600 |
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−−でも、“シナリオ採録”で映画の見方とか評論の勉強になったんじゃないですか?
どうなんでしょうね。そんなにもなってない気がするけどな。“シナリオ採録”の勉強にはなったけど(笑)。あれは映画を意識的に見るひとつのやり方ではあるでしょうけど、それが批評のためのいい訓練法かどうかはわからないですね。
−−映画の細部まで見るようになったとか?
もともと“シナリオ採録”をやる前から細かいところを見るのが好きだったんですよ。好きな映画は何度でも見るくせがあったから。だから山田さんに手紙を書いたときもバックルとか変なところをおぼえていたわけですよ。
“シナリオ採録”のときもね、ぼくは試写があれば3回見る主義だったんです。1回目はぼぉっと見て、2回目と3回目はメモをとったりして。でも不思議なもので、3回見ると、つまらないと思っていた映画もつまらなくなくなっちゃう。おもしろいのか、つまらないのか、わからなくなってしまうという(笑)。3回見て、なおかつつまらない映画というのは本当につまらないのかも知れませんね。そうなった場合、これはまったく時間の無駄づかいですね(笑)。
−−“シナリオ採録”は何年ぐらいつづけられてたんですか?
どれくらいやってたのかなぁ。'70年代で終わってると思うけど。あれはしんどくて、やたら時間がかかって…、いま考えるとあんなのやらないでもっと映画を見ればよかったとも思うけど(笑)。だって忙しいときには1号あたり2作品も担当してるんだもん。生活のためではあったけど、ギャラはやすかったよねぇ。
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−−ほかにはどこの雑誌に書かれてたんですか?
『小型映画』(玄光社 ※現「ビデオサロン」の前身)でも書かせてもらってました。あとはどこかなぁ…。『シティロード』(※休刊)はまだだし。『シティロード』は'80年代ぐらいからだったと思うんですよね。清水俊雄さんが編集長だったとき。あとは、『ロードショー』(集英社)かな。
−−『ロードショー』ではどこを?
批評は書いてないけど、無記名の新作紹介でプレスのリライトをするページをずっとやっていました。'73年からつい最近まで、30年近くやってたんですよ。そのほかに特集や別冊の記事を書いたり。'70年代に駄ジャレの謎々がはやったときは、映画版のそれをつくらされたり、付録でクイズブックをつくったこともある。ジャッキー・チェンやユン・ピョウのインタビュー取材もよくしましたね。現在は新作評を書いています。
−−『花椿』(資生堂)はいつから執筆を?
『花椿』をはじめたのはねぇ、いまのかたちになる前だから'84、5年じゃないかな。いまのかたちは'87年から。もう15年間ずっとやりつづけてるんですよ。 |
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