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5月1日、午後5時半。 約束の時間から1時間半遅れで現れた宇田川さん。「原稿を書いていて…」と悪びれるようすもなく席についた“日本最後(!?)の映画評論家”は、私の想像とはまったく異なる“普通のおじさん”だった。 そのひょうひょうとした雰囲気に肩すかしの感を覚えながらも、まずは子供のころの映画体験からうかがうことに…。 |
−−初めて見た映画って覚えてますか?
3歳ぐらいだったと思うけど、『怪傑鷹の羽』という時代劇を見たのを憶えてます。正しくは『怪傑鷹』だったかな。サイレント時代に脚本家として活躍していた寿々喜多九平という人が監督した作品なんですけどね。それを数年前に浅草東宝のオールナイトでやってて見たんですが、1カットだけおぼえていたシーンがあったので、“ああ、これだ!”と思いました。映画ってストーリーとかは忘れちゃうけど、印象に残る1カットっておぼえていたりするものですね。
−−(資料を調べて)その作品のタイトルは『怪傑鷹』('54)ですね。第3篇まであったようです。
『怪傑鷹』ですか。子供のころは『怪傑鷹の羽』って思い込んじゃったんだよね。仮面のヒーローだからふだんはぐうたらな侍のふりをしているんだけど、“鷹”になったときも刀を持たないで戦うのね。とにかく足が速いの。ただ逃げてるだけみたいなんだけど(笑)。
結局、昔の時代劇って、黒澤明みたいなものは別だけど、見ると忘れるようにできてますよね。ぼくだけかも知れないけど…。たくさん見たけど、ほとんどが憶えてないもんなぁ。
それと同じ年にね、『キングコング』('33)っていう戦前に大ヒットした名作がリバイバル上映されて、それを見て泣き出しちゃった記憶があります。“キングコング”がエンパイアステートビルを登るあたりのクローズアップが記憶に焼きついてる。怖かったんでしょうね。'53年の再公開だったから、たぶんそれも3歳で見てるはず。
−−3歳の記憶があるなんてすごいですね。そのころから映画を見つづけているんですか?
ええ。中学生のころからよく見るようになって、名画座に行ってましたね。新宿のローヤル劇場にはずいぶんお世話になりましたよ。あそこはどんな作品の場合でも2時間単位で上映時間が決まってるんだよね。1時間半ぐらいのB級アクションを上映するとしても、予告篇の数で調整してるの。きちんと2時間きざみになるように。
−−中学生で名画座通いですか。
普通のロードショー館は料金が高くて行けなかったからね。“名画座”っていうのは、べつに“名画”を上映するところって意味じゃなくて、古い映画をやすくやっているコヤって意味ですよ。
−−お小遣いは全部、映画に?
つぎ込んでましたね。あと友だちで株主招待券とか持ってるやつがいるともらったりして。
−−宇田川さんが学生時代に自主映画を撮っていたと聞いたんですが、そのころですか?
よく撮っていたのは高校生のとき。中学3年生で初めて8 をまわしたんです。
−−そのときに撮られたものはどういう作品でした?
手塚治虫の『大洪水時代』を部分アニメでやろうとしたんです。“吹き出し”を入れたくなかったから絵だけを拡大模写して。それで1コマずつ撮影して、部分的にはアニメーションにしたりしてね。普通は画用紙ぐらいの大きさが1コマなんだけど、ラストシーンの、原作で2ページ見ひらきの大ゴマだけ全紙大の模造紙にかいてズームで引いたり、できるだけ動きをつけるようにやったんです(笑)。そのころに大島渚の(劇画の原画を使った)『忍者武芸帳』('67)っていうのがあったんですけどね…。作品自体は見ていないのに、絵を動かさなくてもできるっていうのを何かで読んで、自分でもやってみたんです。
それと実写で7、8分ぐらいの『或る日』っていう作品を撮りました。あともう1本は、『馬術部への招待』っていう部の勧誘用のドキュメンタリーをつくりましたね。その3本を同時にやったんです。『或る日』は'78年にイメージフォーラムのフィルム・フェスティバルで『或る日2』としてリメイクしました。 |
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「結局、昔の時代劇って、黒澤明みたいなものは別だけど、見ると忘れるようにできてますよね」 |
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山田宏一、宇田川幸洋・責任編集
芳賀書店 |
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アレックス・ベン・ブロック著
宇田川幸洋・訳
勁文社 |
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デビット・ドルトン著
宇田川幸洋、都築明・訳
勁文社 |
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デビッド・ドルトン著
宇田川幸洋、都築明・訳
勁文社 |
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沢田康彦、畑中佳樹、斎藤英治、宇田川幸洋
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宇田川幸洋、粉雪まみれ、沢田康彦
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キン・フー、山田宏一、宇田川幸洋
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宇田川幸洋・責任編集
キネマ旬報社 ¥1600 |
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−−『或る日』というのはドラマっぽいタイトルですが、どういうストーリーなんですか?
朝、主人公が学校に遅刻しそうになって、あせって走ってくるんですよ。で、着いてみたら教室に誰もいなくて、じつは休みだったって話。
−−それでどうなるんですか?
いや、それで終わり(笑)。その後はぶらぶらと多摩川を歩いて帰るっていう。
−−それだけ?
そう。でも、中学生のくせにリヤカーで移動撮影をやったり、アクション的な部分には凝ってんの。キャメラを逆さにして撮ったりとかね。
−−中学生から撮りはじめて、いつまで撮っていたんですか?
'79年の『おろち』っていうのが最後。楳図かずおの漫画を4分の短篇にしたんです。あとで楳図さんに見てもらったんですけど、何もいってくれなかった(笑)。可もなく不可もなくって感じだったんでしょうね。だって4分じゃ原作と同じようには撮れないし、いろいろ勝手に変えてやってるわけだから。
−−大学時代も映画三昧だったんでしょうね?
大学時代って短かったからなぁ、ぼく。
−−慶応大学ですよね。
そうだけど、除籍。1年生を2回やって、それで辞めさせられたの。大学の近くに住めばちゃんと行くと思ったのに、全然行かなくて…。慶応ってね、2回しか同じ学年をできないんですよ。早稲田みたいに8年間まではいいっていうわけじゃないから。同じ学年を2回落第すると自動的に退学処分。
−−じゃあ、学校に行ってない時間は何をされてたんですか? 映画を見ていたとか?
大学のときは…意外にね、あまり見てなかったですよ。2ヶ月ぐらい見なかったこともあったもん。
−−それでどうしたんですか?
退学になってしまったので、働かなきゃいけないなと思って、横須賀にあった有線放送の会社で働きはじめたんです。
−−なぜ横須賀の会社を? ご出身は東京ですね。
学生のときは、武蔵小杉に住んでたんですよ。だから新聞には神奈川県の就職案内が載ってるわけ。そのころ、東京に地震が起こるっていう噂があったから、だんだん西の方へずれていこうと思ってたんです。武蔵小杉から横須賀に行って…、ゆくゆくは関西へ。そうすれば地震からも逃れられるかなという遠大なる計画(笑)。でも結局は東京に戻ってきちゃったわけだけど。
−−その有線放送の会社では何を?
リクエストを受けたり、テープを替えたり。小さいところだったから何でもしなきゃいけなくて。テープは1本が長いから、替えなくても同じものを2回やると一晩ぐらいもつんだけど、それとは別にレコードもかけるんですよ。そうじゃないといつも曲の順番が一緒になっちゃうから。
−−そのころはいつ映画を見てたんですか?
途中で1時間休憩があって、近所の金星劇場という映画館で『ワイルドバンチ』('69)と『砂漠の流れ者』('70)の2本立てをやってたんですよ。そのときは毎日1時間だけ、『ワイルドバンチ』を見てましたね。日によって前半を見たり、後半を見たり。テレビでジョン・フォードの『ハリケーン』('37)を放送したときは、2時間休んで近くのスナックのテレビで見て、あとでおこられたり。 |
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| 『ワイルドバンチ』 |
イラスト:宮崎祐治
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