![]() ![]() ノイズとリアリティ。 カツシン流のキャスティング術 勝新の大映時代の作品と勝プロ設立以降の作品を比べてみると、(撮影機材の向上、フィルムの感度や粒状性の向上といったテクノロジーの問題を別にしても)画面から受ける印象は明らかに異なる。はっきりと「肌ざわり」が違うのだ。 「勝プロ以後」をもっとも象徴するのは、勝新のキャスティングへの嗜好の変化、あるいはこだわりに顕著だろう。60年代後半になると、五社協定の枠組みが崩れ、俳優の専属制度も無効になって、旧来の「映画俳優」たちがテレビや舞台へ活動の場を求める一方で、手薄になった俳優の層を埋めるべく、演劇界の若手俳優たちが映像の世界に飛び込んできた。 勝新はこうした異分野からの参入組のパーソナリティを本能的に察知する能力に長けていた。名前を列挙するだけで十分だろう。岸田森、草野大悟、石橋蓮司、蟹江敬三、原田芳雄といった演劇界の猛者たち。ベテランでは小池朝雄、西村晃、大滝秀治、江幡高志といった面々が重用されていくのも勝プロ作品の際立った特徴だ。いずれ劣らぬ、ひと癖もふた癖もある男たちばかり。清冽ささえ感じさせる大映時代の作品群と異なり、ひとたび彼らが画面に登場するや、明らかに「濁り」が生じている。存在としてのノイズ。 |
| 岡本喜八や実相寺昭雄ら個性派監督の作品で知られる怪優、岸田森と勝新の出会いは岡本監督の『座頭市と用心棒』(70)から。短銃を持つ不気味な殺し屋・九頭竜を演じて強烈な個性を放ち、海外ではカツシン、ミフネよりも評判になったという。以後、勝新や若山富三郎に愛され、勝プロ作品に欠かせない俳優の一人となり、勝新主宰の演劇学校、勝アカデミーの講師を務めるまでに至った。岸田の盟友であった草野大悟は、ときに軽妙に、ときに狡賢い小悪党を演じさせたら天下一品。『御用牙』(72)では蟹江敬三ともども、勝新演じる同心・板見半蔵の下働きを務め、コメディリリーフぶりが笑いを誘う。 勝新、若山作品でいつも献身的な助演ぶりをみせる石橋蓮司(恐らくは勝プロ作品最多出演者だろう)はいうに及ばず、粘着質の演技で厭味な悪役に扮して凄みと滑稽味を交互に滲ませる演技をみせる西村晃や小池朝雄にしても、勝好みの俳優たちは日本映画界きっての超個性派と呼ぶのがふさわしいが、と同時に何ともいいようのない色気の持ち主ぞろいでもある。清濁併せ呑む勝新の広大な包容力が海千山千の男たちを包み込み、個と個が衝突して火花を散らしたとき、ほかの作品でみたことのない顔をフィルムに刻んでいくのだろう。 包容するのは無論、男たちだけではなく、むしろ女優を描いたときにこそ、その目の確かなことが顕になる。テレビ版『座頭市』の「心中あいや節」における、はなれ瞽女を演じた吉永小百合と市の雪の中の情交と別れ。『警視−K』の「いのち賭けのゲーム」でのバスルームで会話する原田美枝子の長回しのシークエンス。あるいは同じ番組の「オワリの日」で松尾嘉代の横顔をとらえた何気ないショットの美しさ。女性を撮ることにかけては、凡百の監督の敵うところではない。勝新太郎はほんとうに女性映画の手練れであった。 撮影現場でのライヴ感を重視する勝新のリアル志向は、既存の俳優ばかりでなく、新しい人材を積極的に発掘・育成する方向へ向かったのも当然だろう。『警視−K』では、レギュラーの刑事役のキャスティングは異色と言っていいだろう。小柄だがやけにガタイのいい谷崎弘一はそれもそのはず、『がんばれ!!ロボコン』の着ぐるみ役者。相棒の水口晴之は元クールスのヴォーカリストで、音楽担当の山下達郎のプロデュースでソロアルバム『BLACK OR WHITE』を発表したばかりだったので、そのセンからの起用だろうか。しょぼくれ課長の北見治一にしてもエリート風を吹かす金子研三にしても、この手の番組ではあまりお目にかかれない地味なキャストである。勝アカデミーの卒業生たちを勝プロ製作の番組に起用するのは当然の配慮だろうが(『警視−K』のエピソード「LiLi」では、勝アカデミー出身のルー大柴がちらりと姿をみせる)、普通の刑事ドラマならお茶の間へ色目を使って、レギュラー陣くらいは親しみやすい人気者をキャスティングするところだが、勝新はそうしなかった。谷崎も水口もお茶の間での知名度とは関係なく、刑事をみごとに演じた。いや、刑事そのものとして作品のなかに息づいている。 要するに、作られた「うそ臭さ」に耐えられない人なのだ。だからファミリーの絆を描いた『警視−K』では実の娘の奥村真粧美が娘を、別れた妻を中村玉緒が演じる必要があった。キャメラの向こう側とこちら側と境界はなくなり、あとには作品だけが残る。ノイズ志向とリアリズム志向は表裏一体のものだろう。 こうした勝新のキャスティング術は、最後の監督作『座頭市』でも遺憾なく発揮されている。緒形拳や田武謙三のような古い顔馴染みから、実子・奥村雄大(現・雁龍太郎)やミュージシャン出身の陣内孝則や内田裕也、コメディアン出身の片岡鶴太郎、新人の草野とよ美まで、渾然一体、まさしくごった煮的な顔ぶれ。さまざまな履歴の人間たちがぶつかり合い、その渦のさなかにドラマを見出す勝新の映画は文字どおり、ジャムセッションの呼称がふさわしい、祝祭の場だった。 |
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