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イラクが面白いのに何でパレスチナなのよ、と一蹴された。 また借金が少し増えた。 まあいいか、死ぬわけじゃないし
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Ж アンマンを後に、私はパレスチナに入った。3年に及ぶイスラエルのパレスチナ再占領は行くたびに通行の制限を厳しくしていた。 アンマンで会った4人の学生の故郷はそれぞれが、イスラエル軍に切断されたパレスチナ自治区の奥の村だった。トルカレムやジェニンには外出禁止令が出ていて、ミリタリーエリアのために近づくことができなかった。私とドライバーは険しい岩の道を迂回しながら住所を頼りに半日かけてようやくたどり着くという具合だった。 遠くバグダッドに息子を送り出した家族は、突然の日本人の訪問に驚き、息子の元気なビデオを見て喜んだ。「まあいいか、喜んでるし」 私のひとりNGOはささやかな喜びを運んだのだった。
4月9日、ようやく4人の家族にビデオメッセージを届け終わった私は、ガザ地区で反イラク戦争を叫ぶ若者たちを取材していた。 午後、バグダッド陥落のニュースがパレスチナにも届いた。 皆押し黙った。落胆と怒り、絶望と不安。世界に見捨てられたような悲しい静寂。 どこかからやってきた異邦人は置きざれにされた。 彼らは心ここにあらずといった様子で、だが優しい言葉で私を送り出してくれた。 「サヨナラ、また会おう」 私はむなしくはなかった。「こんなもんさ」と思っていた。 クセニティス。どこにいてもよそ者。 私はどっぷりとした孤独に酔いしれていた。 こんなときはどうしよう。立小便でもするか。 青空が私を笑った。
このときのドキュメントは結局商売にはならなかった。イラクが面白いのに何でパレスチナなのよ、と一蹴された。また借金が少し増えた。まあいいか、死ぬわけじゃないし。 |
【追記】
時々書かせていただいたこのコラムも一時休止となりました。
読んでくれていた方々に感謝。
「サヨナラ、また会いましょう」
おわり。後藤和夫 |
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