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プロローグ「見ることよりほかに」
第1回 「平壌ドボン」
第2回 「パレスチナの青い空」
第3回 「哀しき熱帯」
第4回 「愛すべきならず者たち」
第5回 「平壌でボッタクリ-崩壊か開放か」
特別編 「水汲みロイちゃん〜アフガニスタン・カブール陥落に思う〜」
第7回 「誰も俺たちを撃たない」
第8回 「NGOは誰のため?」
第9回 「アフガンは笑う」
第10回 「私の中のテロリスト」
番外編 「パレスチナから帰ってきました」
第11回 「ローマの休日」
第12回 「クナシリ漂流」
第13回 「世界でいちばん憂鬱な場所」
第14回 「極寒でも太陽政策・平壌で二日酔い」
第15回 「続・極寒でも太陽政策・平壌で二日酔い」
第16回 「『戦争の実相』(4/20)/『普通に豊か』(5/23)」
第17回 「どこまでも太陽政策・私たちと違う場所(6/15)」
第18回 「『終わらない夏』-父の書斎にて」
第19回 「パリの天才ドライバー」

<< Special:後藤和夫氏 ロングインタビュー


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イラクが面白いのに何でパレスチナなのよ、と一蹴された。
また借金が少し増えた。
まあいいか、死ぬわけじゃないし


Ж アンマンを後に、私はパレスチナに入った。3年に及ぶイスラエルのパレスチナ再占領は行くたびに通行の制限を厳しくしていた。
アンマンで会った4人の学生の故郷はそれぞれが、イスラエル軍に切断されたパレスチナ自治区の奥の村だった。トルカレムやジェニンには外出禁止令が出ていて、ミリタリーエリアのために近づくことができなかった。私とドライバーは険しい岩の道を迂回しながら住所を頼りに半日かけてようやくたどり着くという具合だった。
遠くバグダッドに息子を送り出した家族は、突然の日本人の訪問に驚き、息子の元気なビデオを見て喜んだ。「まあいいか、喜んでるし」
私のひとりNGOはささやかな喜びを運んだのだった。

4月9日、ようやく4人の家族にビデオメッセージを届け終わった私は、ガザ地区で反イラク戦争を叫ぶ若者たちを取材していた。
午後、バグダッド陥落のニュースがパレスチナにも届いた。
皆押し黙った。落胆と怒り、絶望と不安。世界に見捨てられたような悲しい静寂。
どこかからやってきた異邦人は置きざれにされた。
彼らは心ここにあらずといった様子で、だが優しい言葉で私を送り出してくれた。
「サヨナラ、また会おう」
私はむなしくはなかった。「こんなもんさ」と思っていた。
クセニティス。どこにいてもよそ者。
私はどっぷりとした孤独に酔いしれていた。
こんなときはどうしよう。立小便でもするか。
青空が私を笑った。

このときのドキュメントは結局商売にはならなかった。イラクが面白いのに何でパレスチナなのよ、と一蹴された。また借金が少し増えた。まあいいか、死ぬわけじゃないし。


【追記】
時々書かせていただいたこのコラムも一時休止となりました。
読んでくれていた方々に感謝。
「サヨナラ、また会いましょう」
おわり。後藤和夫




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