
ご感想はこちらまで |

映像でしか伝えられないとは思っていない。
というより、俺はいまでも何がしたいんだって!?
Q:それでは、映像表現の可能性についてお伺いします。活字ではなく、映像でしか伝えられないものはなんですか?
:映像でしか伝えられないから、映像にしがみついているというのはない。テレビやってるけど、テレビや映画がなくなるのと本がなくなるのとどっちが、と言われるのなら、テレビや映画なんかなくなっちまえ!と。活字のほうが好き。本がない生活は考えられないくらい活字人間だし、もっとうまく書きたいという思いや書くモチベーションはすごくある。文章のほうがうまく伝えられるんだというのもある。映像では、そこいらの日本人よりすごいものを撮って伝えていると思うこともあるけど、でも文章のほうがニュアンスを伝えられると思っている。
Q:意外です。
:映像というのは、僕が生活する手段としてフィットしてた。やりたいことじゃなくて、やったら上手だった。人間てやりたいことと、出来ることが一致している人っていうのはハッピーだと思うけど、詩が書きたい!ってのと、詩で食べていけるのは別でしょ。テレビのことをこんなにやってきてても、あまり思い出せないの。聞かれりゃ答えられるけど、けっこう自分の作った番組とかをどこかで馬鹿にしてたんだよね。心の底から出てくる表現欲求でやってるわけじゃないって。そんなに好きじゃないけど、周りが褒めてくれるからさ。
でもやりたいことと出来ることが一致してる人生のほうが誰だって幸せなんだからさ、そういう意味で近づけたいけど。でもまだ、自分のやりたいことは何なんだって言う問いかけが10代の頃からずっとあるわけよ。
 |

『東京戦争戦後秘話』
大島渚監督がアマチュアの映像作家たちと共に制作した異色のドラマ。後藤さんは、あるフィルムに翻弄される主人公の青年を演じる。 ポニーキャニオン ¥3,800(税別)


チリのバルパライソの市場にて。日本にも大量に輸入されている(?)タラの一種


チリの港町。『イル・ポスティーノ』のパブロ・ネルーダの生まれ故郷だけあって色彩も豊かな文化的な町


クナシリで国旗を掲げてポーズ。悪い冗談です。日本の国旗はいつも持っていっている。ヤバイ状況に陥ったとき、日の丸見せると助かることもあるんで


今年の1月の平壌。体感温度はマイナス20度位かなぁ。僕の後ろにいるのが信号ガール。結構、綺麗な人が多い。あっちでは花形の職業らしい


かの有名な、建設途中でほっとかれている柳橋ホテル。中の撮影は無理だけど、外観はOK。テレビでスクープ映像とか言っているけど、あれは全然ウソ(笑)


ピースボートでアルゼンチン、ペンギンの島ウシュワイアで。もう単なるオジサンの観光写真


実はアルゼンチン到着後すぐに、具合悪くなって寝込むことに。せめてイチゴで栄養補給。ここの前に行っていた平壌での暴飲暴食がたったか… |
|
Q:10代の頃に自主映画を製作されたり、大島渚監督の作品に主演されてますね。
:うん。ただ、親父に進路を聞かれたときに、映画を作りたいって言ったんだけど、今も俺は本当に映画を作りたくて言ったんだろうか? と思う。その時は作りたかったんだけどさ。俺はたまたまついてて、その頃に自主映画を作って、それが大島渚さんの目にとまって彼の映画に出る機会があった。それで映画の世界に半分足をつっこんだような気分になった。大学行くのが嫌で親父に映画の世界に入りたいって言って、それが自己暗示みたいになって映画を作れんじゃないかと思って作ったけど、作った映画は自分で満足してないし、周りの評価も高くなかった。映画をほんとうに作りたいというのはどういうことなんだろう、と。
Q:そういう思いは、映像ジャーナリストになった今でもある…。
:以前、パレスチナに行って立ちすくんだことがあるのね。俺はパレスチナの味方だ!って、心情的にはパレスチナ側から撮ってたら、パレスチナ警察にテープ撮られちゃったんだよ。周りに100人位いたけれど、日本人は俺一人。パレスチナ人は切実な毎日を生きているけれど、俺はそれを覗き見しに来たいわば野次馬。ほんとに荒野にひとりでたったような真っ白になった時に、俺、ほんとこれやりたいのか? と感じた。自分を問い詰めた。どこに行っても異邦人なのかな、と。見ること以外に何か出来るのか。彼らのような切実なことが俺にあるのか。取材は俺にとってどれだけ切実なものなのか。どこに行ってもそんな“ここなのかなぁ、ここじゃないのかなぁ”というのがついてまわる。
反戦デモに参加できなかった理由を文章にしようと思ったこともあるけど、自分でもまだそれが発見できていない気がするのよ。ナショナリズムというテーマを見つけた! これを俺のライフワークにしよう、みたいにならない。「自分にとっての原点は敗戦なんですよ。戦争と共にガラっとアイデンティティーが崩れて…」とかいうじゃない? でも俺は違う。だから、原点がないことが自分の表現活動の原点なんだって思っている。
何のために生まれてきて、何がやりたくて、何のために生きてるんだろうみたいなことを永遠に探しているかもしれない。出来ることというのは、ある程度分かるわけよ。例えば、会社を経営するのは出来ない、みんなからも言われるし、自分でも思う。やりたいことはほんとにこれかな? っていうのはいつも思ってる。それを探してるっていうことでもいいのかな。
いろいろ気持ち悪いテレビだけど、
それでもテレビの可能性はまだまだある
Q:後藤さんは今のテレビについてどう思われますか?
:テレビの可能性はもっとあると思ってますよ。ただ、いまはいろいろ気持ち悪い。例えば北朝鮮報道は、どうしてそんなに敵対心ばかりなの? って。そんなに知らないくせに。朝の番組を作ってる若いディレクターとかに、なんで韓国と北朝鮮は分かれてるんだよ、とか言うと、そんなの関係ないじゃないですか! 北朝鮮は悪い国なんですからって言うから、お前の信念はその悪い国を潰したいとか正義感に燃えてるわけ? とか言うと、そんなこともないですけど…って。そういう雰囲気に流されてる状況が気持ち悪い。
Q:マスコミ側も主体性というか確固とした意思が無い、もしくは
あるような気になっているけど、突き詰めると曖昧だと。
:テレビはやらせばかりで、愛想を尽きてる部分もあるけど、それでもまだ有効性はあると思ってる。俺は辺見庸が大好きなんだけど、彼は素晴らしいことを言っているし、言ってることはほぼ賛成なんだけど、『いま、抗暴のときに』という本、俺は分かるけど、田中真紀子を支援してるおばちゃんたちにはわかりませんよ、と。もし戦争反対ならば、そのおばちゃんたちも戦争反対になるような文章を書くっていうのが反戦論者じゃないの? それにその前に文学者の鎧を捨てられないんじゃない? と。一般の人には分かりませんよ。あなたの本がもしも100万部売れようとも、テレビにしたら、それはたかだか視聴率1パーセントでしかないですよと。テレビはものすごい大衆性があるんですよ。テレビは危ういメディアだけど、多くの人々に届く可能性も持っている。でも辺見さんの言葉はそこまで届くの? っていう疑問がある。
知識人とかインテリが社会を変えるとは思わないのよ。ベルリンの壁が崩れたのもラジオが聞こえてくる、向こう側では、U2やビリー・ホリデイが流れてる。クロワッサンが食べられる。そんな欲望に動かされたの。君たちは、いま社会主義に抑圧されているんだから、そこから解放されなきゃいけない、とかいう運動に動かされたわけじゃないでしょ。もっと素朴なものに壁は崩されたと思ってる。そのへんがあるのはテレビが生まれたときから持っていた特性だよね。子供から大人まで一般大衆を相手にしてるメディアである。だからこそ俺の素朴なメッセージは伝えることが出来るんだから。とにかく簡単に言えば、もっと面白いことをどんどんやりたいんだよ俺は。
|
【後記】

スロウトレイン編集部内でも、後藤和夫さんの連載は人気がある(特に女子に!!)。過激とも思える行動とは裏腹に、少しとぼけた文体が後藤さんの人柄を偲ばせ、いい感じの脱力感を漂わせているのが、人気の要因だとにらんでいる。
今回インタビューをしようと思ったきっかけは、「見ることよりほかに〜」の裏話が聞ければ、という単純なものだった。「見ることよりほかに〜」自体が取材の裏話的な要素を孕んでいるのだが、まぁ裏話の裏話をおもしろおかしく聞ければと。
ただ、話が進んでいくうちに、後藤さんのTVディレクターとしてのこだわりや姿勢まで聞くことができ、本当に実りのある時間を過ごせた。それは日々、編集者として仕事に取り組む自分と重ね合わせられる部分があり、いろいろと学ぶことが多かったからだ。また、作家や監督、アーティストらとは異なる、表現者・伝達者としてのディレクター(≒編集者)としての存在意義を自分なりに再確認することができたことも付け加えておく。
ちなみに、後藤和夫さんは2004年4月より、「ニュースステーション」の後番組(古舘伊知郎が司会)のプロデューサーの一人として参加することになっている。よりスケールアップしたご活躍に期待しましょう! |
|
|