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| インタビュー予定時間直前に、後藤和夫さんから“財布を落とした”との連絡が入り、急遽1時間ほど開始を遅らせることになった。無事、サイフの在りかも確認し、ほっとした面持ちで取材部屋にやって来た後藤さんは、開口一番「日本に帰ってきて、少し気が抜けたところなんだなぁ。最近、海外から帰ってくると、精神的にも肉体的にも回復するのが遅くなってきた…」などと独り言をブツブツ。ちょっとしたトラブルを呼び水に、インタビューは始まった。 |

戦場に辿り着くには「クラッシュ!クラッシュ!ドンパチ」って言うんだよ
Q:後藤さんはいつも海外、それも危険地帯へ取材のため飛び回っている印象があります。いつもどういうチームで何人くらいで取材しているんですか?
:基本的にはひとりだよ。パレスチナには15回くらい行っているけど、ほとんど自主的にだから当然あらかじめテレビ局から予算をもらうということはない。事前に仕事として依頼を受けたときは、カメラマンを雇ったりしたな。ひとりで行く場合の予算は往復の交通費と1日2万円くらいの経費。パレスチナ取材では最大3人っていうのがあった。
必需品はカメラとテープとメモ帳。これらを無くすと何しに行ってたのってことになるから。カメラはパスポートサイズのソニーのDCR-PC100を使ってる。マイクはこれに付いているもの。インタビューもそのカメラについてるので済ますから、家庭でお父さんが子どもの運動会に持っていっているのとそんなに変わらないよ。
Q:銃撃戦の現場には、どうやって行き着くんですか?
:現地でタクシーに乗り込んで「クラッシュ!クラッシュ!ドンパチドンパチ」って。運転手は絶対俺のこと頭がおかしいって思っているはずだよ(笑)。黒煙が見えると降ろしてもらって旗を振っている奴らに「ホワッツ・ネーム・ユア・グループ?」「ハマス」「へぇ〜ハマスって言うんだ」って感じ。今でこそパレスチナ情勢について詳しく話せるけど、最初の頃はそんなものだよ。
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パレスチナのガザ、戦車にメチャメチャにされた農家。僕の後ろでは洗濯モノが干されており…たくましい


同じくパレスチナ、かの“ジェニンの虐殺”があった場所。今も大量の銃弾の痕が


瓦礫にはパレスチナの旗が立っている。他にはイラクの旗も。アメリカ帝国主義に逆らっているフセインはここでは人気者だった


パレスチナ、ベツレヘム。もっとも危険を感じたときはこの格好。ヘルメットはアメ横の横田商会で購入。防弾チョッキは、台湾製かな? でも、スナイパーの銃弾には無力。気休めで着てました


カンボジア、プノンペンのキリング・フィールド。ポル・ポト虐殺の傷跡傷あとは今でも展示してある


カンボジアの地雷原を取材。その線の向こうはまだ解体されていない地雷がある


子どもたちが水浴びをしている。カンボジアはマラリアが多いそうだが、幸い感染経験なし |
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Q:身の危険を感じたりしないんですか?
:ジャーナリストの正義感だ!って突っ込んでいって撃たれちゃう人いるでしょ? そこまで俺は勇気ないから。ただ、カメラマンも兼ねて行ってるでしょ、そうするとカメラマンの性っていうのが出ちゃうのね。“いい画が撮りたい”って。向こうで戦車がダダダーって機関銃撃っているとディレクターとしてだったらやめようと思うかもしれないけど、カメラマンとしては(画を)押さえたくなっちゃう。
前に現地のコーディネーターにもっとライブな画を撮らせろ! みたいなことうるさく言ってたら本当にそういう状況に遭遇して。イスラエル軍がパレスチナ人の民家や道路を壊しているんだけど、普段は夜やるのにそのときは昼やってたのね。パレスチナの人も心配そうに遠巻きに見てるだけなんだけど、コーディネーターが「後藤、オマエこれが撮りたかったんだろ! 行けー!」って、「防弾チョッキも着ていないし、大丈夫かな俺」ってそのときは怖かった(笑)。
パレスチナは自分が見届けられる可能性がある。
でも、独立したら行かなくなるんだろうな…
Q:戦場体験を数こなしているとやっぱり恐怖の感覚が麻痺してくるんですか?
:戦場そのものへはそんなに行ったことないんだよ。ベトナムに行ったときも戦争は終わってたから。1991年のカンボジアは、和平が結ばれているけどまだポルポト派が隠れているという状況だったので、それが初めての戦場経験かな。ドーンドーンって遠くで聞こえたり、銃を持っている少年兵やジャングルに潜んでいるポルポト兵にインタビューしたりした。
あと、パレスチナに行っても銃を持っているのはイスラエル兵でしょ。イスラエルの兵隊は徴兵制だし、教育もちゃんと受けているので、日本人を撃ったりしないっていうのがわかってるんだよね。普通の会話も常識の範囲で出来てるから。緊迫している状況だなぁって現場で思っても、後で映像素材を見かえしてみるとイスラエル兵が「何しに来たんだ〜」「ジャパニーズ!」って答えると「そのへんで撮っておけ」みたいなこと言ってるんだよね。
Q:パレスチナには他の地域に比べてよく行きますよね。
何か思い入れのようなものがあるんですか?
:見つづけていたい気持ちが働いているんだと思う。あそこは侵略する側とされる側の闘い、いわゆる国家間の戦争という感じではない。イスラエルの占領の中で、パレスチナ人が独立に向けて抵抗運動をしているわけだけれど、軍事力、物量ともにイスラエルが圧倒的な力で制圧、抑圧していて、パレスチナ側は見事にやられてしまっている。だけど、圧倒的にパレスチナ人のほうが理屈として正しい。世界の不平等があそこにはある。そこが負けるのか、勝つのかを見たい。パレスチナ問題は、自分が生きた時代からずーと解決しないで続いてる。それでもしかして自分が見届けられる可能性もあるかもしれないしね。
それと個人的な友達もたくさんできた。少なくとも俺に対して、信頼やら委託やらの気持ちを持ってくれているパレスチナ人が多いってことが大きいかな。パレスチナの国を裏切るということには自責の念はわかないけど、個人を裏切りたくないという気持ちはある。
Q:そういう友人の方々とは日本にいても交流はあるんですか?
:いまはメールがあるからね。でも、もしパレスチナが独立したら俺はもうあそこには行かないんじゃないかなぁ。友だちが「後藤!インディペンデント!パレスチナは独立だ〜!」って、この前まで石投げて、家族も殺されたし、友達も自爆テロで死んだような奴らが言うなら、よかったなぁ!とその時は俺も嬉しいと思うだろうけど、その後もうそんなに頻繁には行かないだろうな。あの時、ドンパチの下でハンバーガー食ったな、みたいな過去の思い出話以上のものはない。 いろんな外国にも友達がいるんだけど、今関心がない国の友達にあっても話が弾まないんだよね。あんなことあったねとそれ以上のことはない。会う必然性がない。高校の同窓会でもそうじゃない、久々に会って「あんたこんなに変わっちゃったんだね」って言ってもそれ以上の話はないでしょ。年賀状くらい出そうかな、と思っても。それ以降の人生を共有してないから。昔のことは終わった思い出しかないからさ。
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