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プロローグ「見ることよりほかに」
第1回 「平壌ドボン」
第2回 「パレスチナの青い空」
第3回 「哀しき熱帯」
第4回 「愛すべきならず者たち」
第5回 「平壌でボッタクリ-崩壊か開放か」
特別編 「水汲みロイちゃん〜アフガニスタン・カブール陥落に思う〜」
第7回 「誰も俺たちを撃たない」
第8回 「NGOは誰のため?」
第9回 「アフガンは笑う」
第10回 「私の中のテロリスト」
番外編 「パレスチナから帰ってきました」
第11回 「ローマの休日」
第12回 「クナシリ漂流」
第13回 「世界でいちばん憂鬱な場所」
第14回 極寒でも太陽政策・平壌で二日酔い」
第15回 「続・極寒でも太陽政策・平壌で二日酔い」
第16回 「『戦争の実相』(4/20)/『普通に豊か』(5/23)」









自分の国への批判は許されない。
批判を公に言えない厳しい体制がここにはある


Ж で、おさらいだが、今年の1月14日から18日まで俺は平壌にいた。NGO「ピースボート」は毎年北朝鮮訪問団を組織していて、今年の訪問についての打ち合わせのために訪朝した。それにちゃっかり便乗した。
相手は昨年来、日本のマスコミに対して不信感を持っていて、取材は一切お断り。
「あんた何しに来たのよ?」と冷たかった。
「まあそう言わずに、日朝間に横たわる敵愾心を少しずつ緩和していきましょうよ」と俺は必死の懐柔策に出るが、まったく通じず。
毎日無駄に、移動の車の中から街の風景を撮っているばかり。何しろ外はマイナス10度という寒さで、当局の案内人も出たがらない。
毎晩「平壌焼酎」をぐいぐいやりながら、毎朝二日酔いに苦しみながら時は過ぎていった。

マイナス20度はあろうかという大同江のほとりで

取材の狙いは「日朝正常化」に対する市民の反応。そして何より「拉致家族」の取材であったが、その道は遠かった。
「拉致」という言葉を出すとすぐ硬化。「それはもう解決したじゃないですか」「わが国が被害者の一時帰国を認めたのに、日本はそれを裏切ったじゃないですか」「それによってせっかくの平壌宣言も停滞してしまったじゃないですか」「その上アメリカの策謀に乗っかって核疑惑とか騒いで、わが国に圧力かけてるじゃないですか」「わが国は決して豊かじゃないけれど、国民の自尊心は誰にも負けません。屈辱に対しては全力で戦いますよ」
といった嵐のような反撃で、「まあそこを理解してくださいよ、焼酎もう一本!」と、平壌焼酎のボトルが増えていくのだった。




Ж 16日、木曜日。われわれの予定は土曜の飛行機で帰ることになっている。土曜日は朝が早い。ということは今日と明日しかない。
「今日は農場に行きましょうか?」とガイドさん。
おお、ちょっとは取材できそうだな。北朝鮮の食糧事情、エネルギー事情、知りたい、見たい、撮りたい。
前の日、北朝鮮の反核平和委員会の委員長に会ったとき、エネルギーの問題が出た。
アメリカとの約束で軽水炉が作られる予定が、昨年来の核疑惑でストップ。
「わが国では、核エネルギーのほかに太陽電池によるエネルギー確保も考えています」という委員長の発言。その時、「じゃあそれ見せてくださいよ」と言っておいたのだ。
平壌近郊の農場にソーラーシステムがあるという。それを見に行こうというわけだ。
いい。どこでもいい。「平壌の車窓から」はもう飽きた。誰かに会いたい。会ってカメラ回したい。

ということで訪れたのが、「宅庵共同農場」というところ。社会主義の国では農業も国家経営、各地に共同農場がある。冬のため、今は農閑期、誰も畑に出ていない。農場の入り口に脱穀場のようなところがあって働いている人がちらほら見えた。「後でここを撮らしてもらおう」などとプランを練って、まずは管理委員長とご挨拶。
社会主義の国は北朝鮮に限らず、各地の委員長や管理委員会とかの訪問から始まる。訪問は事前に連絡されていて、あちらはそれに従って準備する。ここではふかしたサツマイモが用意されていた。そして管理委員長のお話。
「この共同農場は、全部で何世帯で、耕作面積は云々で…」と始まる。実はこの農場、俺は過去にも来ていて、そういう話はもう知っていたので、「委員長、お話はありがたいですが、私たちはこの農場のソーラーシステム導入の実体、そして人々の率直な意見が聞きたいんです」
「ソーラーは後で見ましょう。で、聞きたいこととは?」
「ええ、昨年の日朝会談をどう思っているかとか」
するとガイドさんが、「それはこの委員長に聞いてください」
「いや一般の農民の方に」
「彼らは今忙しいですから、委員長にどうぞ、さあどうぞ」

そうですか。「ガード固いな」と内心思いながらも仕方ないので委員長に聞く。
「日朝会談はお互いの国にとっていいことだったと思いますが、その後の日本政府の対応がわが国に対して敵対的で、その結果原油のストップなどもあり、ここでは脱穀機を回すガソリンの不足や、水道水をくみ上げるポンプが稼動しないとか、困ったことになってます」
なるほど。後でその状況を見せてもらおう、としっかり頭の中にメモして、
「どうしてそうなったと思いますか?」
「それは日本政府が、平壌宣言を履行しないから」
「なぜ日本政府は履行しないんでしょうか?」
「それは…」と口ごもったところで、一緒に行っていたピースボートのメンバーがすかさず聞いた。
「それは今回の拉致問題と関係ありますか? 拉致をどう考えていますか?」
と畳み掛けた。うん、いいコンビネーション。と思ったら、それまで黙って聞いていたガイドさんが、怒った表情で、
「皆さん、今日は拉致の話じゃないでしょ、ソーラーを見に来たんでしょ、もう時間ないですよ」と割り込んだ。
で、インタビューは中断。うむ、この委員長は拉致について知らないのかな、それとも知っていてもそれについては話すなというお達しが出ているのかな、と訝りながら、「少し切り出すのが早かったかな」と反省しつつソーラーシステム見学に。




Ж それは村の共同保育園の屋根に取り付けられていた。前にも見た。日本のNGOが寄付したもので、このソーラーで出来る蓄電はまだわずか。保育園の床に敷いた電気カーペットひとつを暖めるのがやっとだった。
それを撮影しつつも、私たちと彼らの間には冷たい風がビュービュー吹いていて、シラーッとした雰囲気が凍り付いていた。
予想したとおり、その後に申し込んだ一般農民の取材、脱穀機や水道ポンプの取材もガイドによれば「拒否されました」の冷たい一言で却下。
我がほうの負け。一度気分を害するとどこまでも頑ななのだ。でも拉致について聞きたいのは当然じゃないか、と思うのだが、全体主義的国家の中では、ガイドさんや委員長の個人的な判断では対応できないのだった。
不便だな。この人たちもそれは感じてるんだろうな。
ここは日本じゃない。日本の役人の中にも自分の判断では何も出来ず、いちいち上司にお伺い立てている奴いるもんな、この国の官僚ならなおさらかな、と考えつつ「私たちとは違う場所」であることを思い知らされるのだった。

しかし、その夜の「平壌焼酎」(実際毎晩飲んでいるのだ)では、今日のことをめぐって当局と激しく議論した。
「拉致が解明しなければ日朝国交かもうまく行かないじゃない」
「だったら約束どおり、被害者たちを帰国させるべきでしょ」
「だから」「と言われても」「なんと言うか」「なんと言われても」と激しい攻防戦が続き頭の半分以上が焼酎漬けになったところでお開き。また二日酔い。

しかし不思議というか当たり前というか、そうした激しい言い合いの中に、日本人でもなく朝鮮人でもなく、ただの人間としての本音のぶつかり合いが醸し出されてくるのだ。
酩酊し朦朧とした頭のなかに、「ああ彼らも人間だ。こんな国に生まれて、外国から来る我々と会う仕事をしていて、おそらくは自分の国の体制のあり方については不便だと思っているんだ、何とかしたいと思っているのだ」と思った。それを公に言えない厳しい体制がここにはあるんだ。ここは私たちが常識だと思っている場所とは違う場所なんだ、と思わずにはいられなかった。
たとえば、昨年の平壌宣言では何を感じたのか。彼らは素直にそれを喜んだ。これで少しずつ自由になれそうだ。日本にも行けるかもしれない。日本からもっと物が入ってくるかもしれない。とにかく少しでも自由になればそれでいいんだ。今よりいいんだ。
しかしその希望が絶たれた。「拉致」によって。「拉致」に対する日本の対応と自分の国の対応で。ここでは自分の国に対する批判は許されない。失望感は日本に対する怒りに転化する。そういうことなのだろう。この距離をどう埋めるのか。




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