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プロローグ「見ることよりほかに」
第1回 「平壌ドボン」
第2回 「パレスチナの青い空」
第3回 「哀しき熱帯」
第4回 「愛すべきならず者たち」
第5回 「平壌でボッタクリ-崩壊か開放か」
特別編 「水汲みロイちゃん〜アフガニスタン・カブール陥落に思う〜」
第7回 「誰も俺たちを撃たない」
第8回 「NGOは誰のため?」
第9回 「アフガンは笑う」
第10回 「私の中のテロリスト」
番外編 「パレスチナから帰ってきました」
第11回 「ローマの休日」
第12回 「クナシリ漂流」
第13回 「世界でいちばん憂鬱な場所」

2003.1.28 UPDATE



後藤和夫
text by Kazuo Goto



  


北朝鮮の首都、平壌に行ってきた。
こんな時に行くのがはっきり言って俺の趣味


Ж 1月14日から18日まで、北朝鮮の首都、平壌に行ってきた。
これで三度目の平壌となる。
2001年の夏に行ったのが最後だから、約一年半ぶり、って、こと北朝鮮ということになれば行きすぎだぜお前、ということになるだろう。
ホント、俺もそう思う。

 昨年の9月17日以来、北朝鮮ははっきり言って酷い国。『拉致』という言葉が、流行語大賞になるぐらい連日の大騒ぎ、10月15日の5人の帰国、キム・ヘギョンちゃん、ジェンキンスさんと、新着ニュースが続いたのも去年まで。
日本があまりに拉致ばかり騒ぎすぎ、北朝鮮を罵倒し続けるもんだから、あちらはすっかり門戸を閉ざしちゃった。
どこへ行ったか『平壌宣言』。これで、近くて遠い国が、近くて近い国になるはずだったのに。
そこへ、核疑惑や、脱北者報道が加わり、北朝鮮憎しの報道はとどまることを知らず。あちらは、もう知らんもんね日本なんか、と当然のようにへそを曲げ、報道陣を受け入れてくれないので、最近は、いつ撮影されたのかよく分からん古い映像を駆使しつつ、どこまで続くのか展望もないままの袋小路に陥っちまった。
帰国した5人に、北朝鮮は酷いでしょと言ってもらいたくて声をかけても「まあ仕方なかったですよ」という答えで拍子抜け。
国民一丸となって、攻撃しているうちにますます遠い国になっちゃった。


Ж こんな時に行くのがはっきり言って俺の趣味。
民間NGOの交渉にちゃっかりと便乗して、成田―北京―平壌と、初めて空路で往復した。

 平壌の冬は寒いと聞いていた。電力不足、食料不足、暗い暗いイメージ。
俺は、あわてて買った、いや違った。12月に、寒くないだろうとなめてかかって行ったパレスチナが、ヒドク寒くて思わず買ったアラブ製の上下のパッチをベースに、かつてパリで仕入れた毛糸の帽子に毛糸の手袋、あっちにはないだろうからと大量のホカロン、ユニクロのフリース、古舘伊知郎さんに戴いた、あったかジャンパーという、アラスカに行った時だってこんなに着込んだかなぁといういでたちで、平壌空港へと北京を飛び立った。
暑かった。飛行機は旧ソ連製とはいえ暖房してるし、美人軍団顔負けのスチュワーデスが、薄いブラウス姿でサービスしてくれて、しかもこんな時期だってのに満席、当然暖房効いてまっせ。馬鹿だなあ。

 しかし、それでも冬の平壌。さすがに市内を流れる大同江のほとりに立った時は、マイナス10度の風が吹き、身体がしびれた。幅100メートルはある川はすっかり凍っていた。橋を渡るのが面倒な人が、その上を歩くのを何度も見た。昔はトラックが渡っていたという。最近の暖冬でもうその光景は見られないという。残念。


Ж 前にも書いたが、この国では自由行動はできない。特に日本人は出来ない。今の時期はもっと出来ない。
理由その一。この国は、今も戦時下であって、その敵は日本とアメリカである。戦時下に外国人を自由に歩かせるわけには行かない。
その二。昨年からの日本の態度に頭に来ている。その報道は行き届いている。反日感情が高まっている。スパイと間違われて石投げられる。(てなことは一度もなかったけど、睨まれたりはした。と同時に笑顔で会釈する人もいた。つまりどんな体制の国でも人さまざまなのだった。)
その三。特に俺のようにカメラを持っている人はまずあちらにはいないから、目立つし、外国の観光地のように外国人が歩くのを見る経験はこの町の人にはきわめて少ないので、奇異に移るし、「なんか怪しい奴がいる」と通報されちまう。
だから、間違いのないように、ガイドさんがしっかりと付く。
とまあそう思いたい。親切で付いてくれているんですよね、ガイドさん。
いや最近は観光と偽って、隠し撮りする輩が多いから特に警戒しているのかもしれないと、実は思っているんですけど。





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