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プロローグ「見ることよりほかに」
第1回 「平壌ドボン」
第2回 「パレスチナの青い空」
第3回 「哀しき熱帯」
第4回 「愛すべきならず者たち」
第5回 「平壌でボッタクリ-崩壊か開放か」
特別編 「水汲みロイちゃん〜アフガニスタン・カブール陥落に思う〜」
第7回 「誰も俺たちを撃たない」
第8回 「NGOは誰のため?」
第9回 「アフガンは笑う」
第10回 「私の中のテロリスト」
番外編 「パレスチナから帰ってきました」
第11回 「ローマの休日」
第12回 「クナシリ漂流」









Жこの9月にもパレスチナに行った。似たような経験をした。そして日本に帰ってきた。
以下は私が帰ってきてから友人に当てたメールだ。


皆様お元気ですか?
9月の10日から日本を留守にしていて2日に帰ってきました。
メモリーオブ9・11も小泉訪朝もピースボートの船の上で知りました。
その間に育ててもらったテレビ朝日の「ザ・スクープ」も終わりました。
船上では私が担当した「ザ・スクープ」のいくつかの番組を見せ、乗船者の皆さんと
討論をしたり、意見を交わしました。
その中に、1998年に作った「愛国心は今」がありました。私たちにとって愛国心とは何か、活発な議論が繰り広げられたのですが、聞いていた一人の在日3世が発言しました。大阪で生まれ、大阪で育った朝鮮人の彼女は、「聞いていてとても哀しくなった。私にとって愛する国とはどこなのか、生まれ育った大好きな大阪なのか、それとも朝鮮民族としての祖国なのか、私には語るべき愛国がないのか、半島の人間でもなく、日本にいて日本人でもなく」といった内容だったと思います。日本に帰化すれば朝鮮人としての本名を変えなくてはならない、オリジナリティを失わなくてはならない。それがどうしても出来ない。彼女はそうも言いました。それを聞いていたセルビアから来た青年は「日本は豊かで自由な民主主義の国だと思っていたのに幻滅だ」と、在日の置かれた立場に怒っていました。彼らの国もまた民族をめぐってむごい殺し合いを経験した国でした。国家の指導者に翻弄され、それはもう2度とごめんだと、切実に語れる青年でした。
彼女の哀しみや無念さに私たちはどう答えればいいのか。
彼女は間違いなく国家というものが犯した罪の被害者です。


帰国するまでもなく北朝鮮の拉致問題が日本の最大関心事になっています。心無い朝
鮮人バッシングも伝えられました。
存命が確認された家族も、死を告げられた家族も、怒りや哀しみ、北朝鮮に対する不 信、反感を表明しています。それは誰でも理解できる深い哀しみですし、怒りです。 帰国してから親族の会見を見るたびにいたたまれなくなります。 だが、それは同時に日本という国家が犯した罪でもないでしょうか。今日まで放って おいた罪であると同時に、戦争責任を果たしてこなかった罪ではないでしょうか。
戦後、自分たちの国が犯した罪を真摯に謙虚に反省・検証せず、アメリカの支配と教 育下でもうこれ以上考える必要はないんだと勝手に納得してきたつけが、もうとっく に「戦後は終わった」と思っていたころに降ってわいたのではないでしょうか。2度 ほど北朝鮮に行った経験から言うと、あの国では「戦後は終わっていなかった」ので す。
もちろん金日成、金正日親子の独裁体制は憎むべき醜悪なものです。
しかし国家というものはいつでも醜悪なものではないでしょうか。
現在新聞に踊る記事の、「日本」を「北朝鮮」に、「北朝鮮」を「日本」に、「拉 致」を「強制連行」に置き換えて見てみました。
私たちは数十万という肉親を失った朝鮮人一人一人の哀しみと、今回拉致が判明した 日本人家族の哀しみを、同じように同情できるでしょうか。
そして国家が犯す罪を冷静に批判できるでしょうか。
現在のマスコミの論調には、そのあたりの冷静さ批判力が欠如している気がしてなり ません。感情論が先行することに危険を感じます。
北朝鮮の悪行は告発・批判して尽きることはないでしょう。
しかし国家が犯す罪を冷静に検証せず、感情論だけで論じてはジャーナリズムとは言 えません。感情論だけが突っ走ると、やられたらやり返す、それが正義だというあほ ブッシュの論理と同じことになってしまいます。
残された家族の方の中には「二度とこのような悲劇が起こらないようにきちんと検証 してもらいたい」と思っている方もきっといると思います。それに応えるのがジャー ナリズムなのではないかと思います。その声が封印されているような気がするのは気 のせいでしょうか。

今年の8月、11年ぶりにサハリンに行きましたが、そこでは57回解放記念日が行 われて、残留朝鮮人たちがお祭りをしていました。もう3世になるロシア語しか出来 ない子供たちが民族衣装で踊っていました。
あの子達を生んだのは誰でしょう。横田めぐみさんの娘を生んだのは誰でしょう。
こう考える私は非国民でしょうか。そうならば私には愛国心なんかありません。

そんなことを船の上で考えていました。下船後、インティファーダ2年目を迎えるパ レスチナに行っていました。
外出禁止令下の中、子供たちが石を投げていました。イスラエル軍が催涙弾を撃ち込 んでいました。
アラファト議長府は見るも無残な瓦礫となっていました。
10日ぶりに包囲が解け、イスラエルの戦車が撤退していきました。
元気なアラファトが「俺を誰だと思っている! ジェネラル・アラファトだぞ」と叫 んでいました。
ああ、ここにも国家を目指している人々がいる。
国家なんか、国家なんかと空しくつぶやくだけの私でした。

急遽帰国したのは父の病の報でした。
私は今、やや元気がないのです。



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