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2002.12.6 UPDATE

後藤和夫
text by Kazuo Goto

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善良に見える紳士は、かたくなに
パレスチナ人への悪意と憎悪を語り続けた
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Жもう7月のことになるが、私は今年何回目かのパレスチナ取材を終えて、イスラエルのベン・グリオン空港にいた。私のフライトは朝5時半。しかし、イスラエルでは3時間前には空港に着いていなくてはならない。定宿はエルサレム。夜中の1時にホテルを出、2時少し前に着いた。
毎回帰国日になると「ああ、またうんざりするぐらいのインタビューだな」と憂鬱になる。「どこへ行った?」「誰と会った?」「預かったものはないか?」執拗な質問の繰り返し。きちんと詰め込んだ荷物の一つ一つを引きずり出し、書類の1ページ、1ページに粉末の爆薬が塗られてないかと検査。また同じような質問の繰り返し。立ったままのインタビュー、そして荷物検査。たっぷりと3時間はかかるのである。
特に私のように、イスラエルの都市ではなく、ヨルダン川西岸、ガザ地区などパレスチナの街に行ってきた者には、まるで犯罪者を見るような視線で、尋問とも言うべき口調で繰り返し繰り返し質問をぶつけてくる。この経験についてはすでに詳しく書いた。(VOL9『パレスチナ 投石の構図』)何度経験してもうんざりとする。ここは世界でもっとも憂鬱な場所だ、といつも思う。
だが、その日は私の乗るはずだったKLM航空便がなぜかキャンセル。それに乗ってアムステルダム経由で日本に帰るはずだったのだが、振り替え便が出るのかどうかも分からない。私以外の乗客も徐々に集まってきて、空港関係者を問い詰めている。多くが、アムステルダム経由でほかの国に行くのである。乗り継ぎとの関係がある。このまま別な日になるのか、それとも臨時便が出るのか。客たちは職員に聞くためにカウンター前に集まり、騒然となっていた。 やがて、臨時のエル・アル・イスラエル航空便が出ることになった。私たち乗客は荷物を手にカウンターを移動した。 ベン・グリオン空港では、各飛行機会社のチェックインカウンターに行く前にセキュリティから長いインタビューがあり、その後に荷物検査があり、それを終えてやっとチェックインという過程なのだが、この時はそれ以前にカウンターに押し寄せていたために、なんと荷物チェックもX線を通すだけ、しつこいインタビューもなかった。 私は、ラッキーだと思った。「ああ、あのうんざりする質問の繰り返しがなくてよかった」。 そう思うと同時に、結局、あのインタビューというのは何なんだ、と杓子定規なセキュリティの仕事のあほさ加減を思った。 私たちがチェックインしていると、荷物チェックのために長い行列を作っているイスラエル人のご婦人が叫んだ。「なんてことなの! その人たちは荷物チェックしていないのよ? 信じられない!」必死に叫んでいた。 おそらく、ごく一般のイスラエル人のご婦人だったろう。パレスチナの自爆テロにおびえ、爆弾におびえる市民であったのだろう。自分たちイスラエル人も厳重なチェック、質問を受けるのに、便を急遽変更された乗客はそれなしでチェックインしていることに、恐怖や不安を感じたのだろう。しかし、その声は無視された。「イスラエルも甘いな」と私は思うと同時に、このご婦人が抱く不安、恐怖はいったい誰が作ったのだろうと考えていた。
Жチェックインを済ませ空港待合室にいると、私と同じように振り替え便に乗ることになった紳士が話しかけてきた。「どこに行ってきた?」 パレスチナ自治区と言うのを少しためらったが、先ほどまで一緒に空港職員を問い詰めていた仲、ごく普通の市民に見えたので、「エルサレムや西岸地区です」と気軽に応えた。 するとその紳士は信じられない、という顔つきで「なに? 西岸地区だって、何だってあんなところに行ったんだ?」と聞いてきた。 ああ、イスラエル人だな、と思ったので、「私はジャーナリストなので、情況を取材してきたんですよ」と簡単に答えた。 すると「そうか。でもよく無事でいたな。でも君は西岸地区を本当に知っているのか。あそこに住むアラブ人どもは全員テロリストなんだぞ。もし私たちが行ったら、間違いなく殺される。そんな野蛮人ばかりなんだぞ。おそらく日本人だから助かったんだろうな。でも気をつけろよ。あいつらを信じちゃダメだ。あいつらは人間じゃない。イスラム教徒というのはな、自分たち以外の人間を抹殺しようとしているんだ。その証拠にベツレヘムを見ろ。あそこは大半がクリスチャンだったんだぞ。そこにいまイスラム教徒がのさばって、キリスト教徒を迫害してるんだ。本当だぞ。奴らは危険だ。野獣だ。もう行かないほうがいいぞ。今度は殺される」 とご丁寧に、手で首を切って見せる真似までした。
彼はごく普通のイスラエル人だった。特別な思想の持ち主にも思えなかった。ベン・グリオン空港の手際の悪さに怒るごく一般的な乗客の一人だった。聞けば、エルサレムの旧市街で商店を営んでいると言う。ならば近くに同じように商売をするパレスチナ人を知っているはずだ。旧市街はイスラエルが建国される前からユダヤ人とパレスチナ人が共存していたのだから。 私は言ってやりたかった。「あなたはそう言うが、私はもう何回も西岸やガザを訪れているんですよ、そこにはあなたと同じ商売をしている人たちがいるし、不景気を嘆く人がいるし、政府の政策に批判的な人がいるし、あなたがアメリカの友人に土産を買うように、離れている友人の安否を気遣うごく普通の人間がいるんですよ。政治や国家や宗教に関係なく、ささやかな平和と幸せを求める人がいるんですよ」と。 しかし、この善良に見える紳士は根拠もなく、かたくなにパレスチナ人への悪意と憎悪を語り続けた。
何がそうさせるのか。何が和解への道をこれほどまで閉ざすのか。 やはり、イスラエル、ベン・グリオン空港は私にとって「世界でいちばん憂鬱な場所」だった。イスラエルという国が占領と抑圧、国連決議を無視して軍事侵攻をしていることを知ってか知らずか、いずれにせよ、その実態を知らないで、偏見、悪意、憎悪、その感情から縛られた「善良な」市民がいることが、私を憂鬱にさせるのだった。 |
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