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プロローグ「見ることよりほかに」
第1回 「平壌ドボン」
第2回 「パレスチナの青い空」
第3回 「哀しき熱帯」
第4回 「愛すべきならず者たち」
第5回 「平壌でボッタクリ-崩壊か開放か」
特別編 「水汲みロイちゃん〜アフガニスタン・カブール陥落に思う〜」
第7回 「誰も俺たちを撃たない」









NGOとは何か、NGOの役目とは何か、
NGOと政府の関係はいかにあるべきか。


Ж 鈴木の圧力のきっかけとなった、朝日新聞の『ひと欄』。ここで「お上の言うことはあまり信用しない」と大西代表が発言したことが鈴木の逆鱗に触れたことになっているが、正確に言うとこれは本文にはない。小見出しに「」つきで記者が書いたものである。
それが一人歩きした。記者の戦略だったのか。
それより私が気になったのは、大西さんが、「日本の政治家に北部同盟の有力者との会談をお膳立てした」と書かれ、それがNGOとしての功績のように書かれていることだった。
会談をお膳立てするのがNGOか?
中村医師「政府の指示で動くならもはやNGOではない」

 また日本が援助した小麦粉が袋に詰め替えられ欧米人の手で配られていたことが大西さんの悔しさのように書かれているところも気になった。
中村医師もまた現地で似たような経験をしている。ペシャワール会が掘った井戸にポンプを提供していた欧州のNGOが、欧州NGO の名称をつけろというくだりだ。
中村医師は言う。「水源は地元民が生存するためのものであり、他所から入ってきた外国人が井戸の所属だとか登録番号がどうだこうだという筋合いのものではない。第一、誰が作ろうがかまわないのだ」そう、誰が作ろうがかまわないのだ。NGOはショウ・ザ・フラッグではないはずなのに、大西さんの発言には「顔が見える支援」へのこだわりがにじみ出ていた。

 大西さんらは鈴木宗男に挨拶に行ったときにも恫喝されたという。
しかし、NGOがなぜ、族議員に挨拶に行かなくてはいけないのか。
挨拶に行かなくてはならない理由があるからだ。
そも大西さんが代表を勤めるJPFは、外務省の肝いりで、経団連、メディアなどの支援で組織されたNGOの連合体なのだ。その連合体のひとつにPWJがある。年間5億円以上の資金が、緊急援助のために用意されているという。アフガン支援もつい最近始めたのである。
一方で自衛隊派遣のショウ・ザ・フラッグ、一方で援助のフラッグというわけだ。それを政府に逆らうような発言をしたと朝日の記事が誘導した。
だから当然、外務省を自分の会社だと思っている鈴木は怒ったのである。
「金出してるのは誰だと思ってるんだ!」というわけだ。まったく、地位と名誉と利権が何より大事だと思っている人間らしい行動である。
その構造を知っているから「ご挨拶」に行ったのである。

Ж 一方、「ペシャワール会」は4500人の会員による100%純粋な寄付によるNGOであるから、中村哲さんは平気で政府批判もできるし、それどころか、米国指導の国連、WFP間でもばっさりとやる。ひるむところは微塵もない。
おそらくアフガン復興会議が行われているときも「何が今頃復興だ、援助だと騒いでるんだ、そんな暇あったら、今すぐ一人でも餓死者を救うのがNGOだ、呑気に東京で会議なんかやってる暇か!」と言っていたことだろう。

 これで明瞭なように、国際会議に出席したお飾りNGOは、政府の息のかかったNGOであることが容易に想像できる。

 しかし、これもまた、詳しくは報道されていない。なぜか。
大マスコミもまたNGOを軽視しているからだ。NGOの問題よりも田中対鈴木の喧嘩だけが面白いのである。
NGOとは何か、NGOの役目とは何か、NGOと政府の関係はいかにあるべきか、そこが新しいベンチャービジネスにならないようにどうすればいいのか―そう考えて金儲けとしてのNGO、NPOをやろうとしている輩も多い―そうしたNGOに対する基本的な報道姿勢がないからだろう。

 大西さんもおそらく「生き方としてのNGO」で始めたのだと思う。
しかし多くのNGOが、ペシャワールの会のように、寄付による自己資金だけでは活動が維持できない。そこで政府の助成金を当てにしたのだと思う。また、従来のNGO活動では、緊急援助が必要なときすばやく行動ができないので、JPFを立ち上げたのだと思う。
そして、ここにNGOのジレンマがあると思う。
私自身いくつかそうした政府の助成金をもらっているNGOを取材したことがある。いずれのNGOの人たちもまじめで真剣で、尊敬に値する人々だった。その活動は現地の人に喜ばれていた。
しかし、同時に、政府の有形無形の圧力とも戦っているのだった。

 そうした一面的ではないNGOの現在について正しい報道がないのがなんとも残念だ。
真相は、鈴木宗男落としの影でまたもやうやもやになるであろう。そして、マスコミは、前のように、NGOを物好きな民間がやっているような自己満足の慈善事業のように見下すだろう。「生き方としてのNGO」よりも「生き方としての政治家」に重きを置くだろう。

 しかし、世界は政治家のどす黒い欲望よりも、国家・国益を超えた民間の連帯が動かし始めている。「生き方としてのNGO」にいま大きな可能性があると私は思っている。




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