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後藤和夫
text by Kazuo Goto
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例によって、仕事のオファーはなし。
自腹で行けるとこまで行こうと思った |
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Ж どうもインドネシアが気になって3週間近く行ってきた。
東西5000キロ以上のインドネシア、1万3700の島、300の民族、2億の人口。
これは一体国なのか。オランダは、インド地方(ネシア)という括りで植民地とし、日本がそれを奪い、スカルノ、スハルトという長期独裁政権が終った今、民主化と地方自治化の中で統合のほころびがではじめている。
独裁体制の終焉と民主化が安定と平和をもたらすという幻想はもろくも崩れ、今インドネシアは第二のユーゴスラビアの様相を見せていた。
インドネシア。ジャカルタ。
いきなりの摂氏35度に、俺はけつまずいた。汗が口の中まで滴って、怪しげなタクシー運転手の誘いを避けながら、一番臆病そうな奴を捕まえホテルに行ってくれと頼んだ。
しかし、どーして佐藤蛾次郎ばかりなんだ、インドネシアは。暑苦しい。
今回のインドネシアはいくつかテーマがあった。独立紛争に明け暮れるスマトラはアチェ、民族紛争が伝えられるマルク諸島アンボン、東ティモール、これまた独立紛争のイリアンジャヤ、そして大虐殺があったというカリマンタンはサンピトという町。
例によって、どこからも仕事のオファーはなかったので、自腹で10日間行けるとこまで行こうと思った。
ホテルに着いた。降りるやいなや、俺のバッグを奪い取るようにしてポーターがフロントに向かった。武田鉄也そっくりの顔をしていたが、あるいは武田鉄也本人だったのかもしれない。この手の顔にはチップはやりたくない。
親しげな笑顔とずる賢さ。久しぶりのこの手の緊張。フィリピンを思い出した。
経済大国日本からやってくると全てが安い。ホテルは150、000ルピア。「15万だと!」と驚くことなかれ、およそ1600円だ。シャワーもある、冷蔵庫もテレビもある。CNNも見れる。
もっと安いところもあるが、俺は大人だから、「地球の迷い方」はしないことにしている。
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Ж しかし、東南アジアのこの安さは時々罠だ。
例えば、なんとなく片言の英語で意思の疎通ができるような奴とめぐり合う。屋台でお茶という事になる。あくまで親切だ。すっかり打ち解け、異郷の地で友情が芽生えたような錯覚に陥る。つい物価の差に気前が良くなる。おごる。相手もこっちを立ててくれる。悪い気はしない。「あなたいい人、フレンド」となる。
そこで、彼らは自分の低所得を嘆く。「私貧乏、あなた金持ち」という構図が出来上がる。
何しろ友達になっちゃってるから、無碍にもできなくなる。明日ガイドしてあげると言い出す。まあいいかと約束する。部屋番号を教える。と、次の日、勝手に友達を連れてきている。車も頼んでいる。相手の興味を巧みに引き出す。「それなら知ってる。案内する」
あくまで好意という態度を示す。謝礼は要求しない。もしその場で断ろうものなら、これ以上哀しいことはないという表情で「なぜ? 私たちフレンド」
ままよいいか、と付き合う。勿論食事なんかは全てこっちもち。
何しろ「私貧乏、あなた金持ち」という共通認識が出来上がっている。
引きずりまわされる。よきところで、「あなた、恋人欲しい?、女、どう?」と、当然のようにポン引きに変身する。これもあくまで好意として、はにかんだ笑顔で申し出る。
断ると、「そう残念ね」とあっさり引き下がり、連絡先も告げずに去っていく。
ホテルに帰る。一切が消えている。
この笑顔とずる賢さに、何度痛い目にあったことか。
いわば貧しき熱帯の魔術。もちろん騙される方が悪いのだ。
幸いにしてインドネシアではそこまでワルには出会わなかったが、なんとなくそういう雰囲気があるのである。全ては経済格差か。
彼らは極悪人ではない。きわめて親切だし、笑顔を絶やさないし、人懐っこく悪気がない。ただ貧しいのだ。ほんの一部の財閥といわれる信じられない金持ちのほかに99%の貧乏人が、笑顔で生きている。市民社会なんて、まだやっととば口にきたばかりなのだ。
これはヨーロッパの貧しさとはまた違うような気がする。
インドなんか、貧乏を笑って生きているようなところがあるじゃないか。カーストの最低限、乞食がケラケラ笑っている。この違和感に眩暈さえする。
この世には差別や格差や階級がある。それが当たり前の歴史を生きている。ついこの前までインドネシアはスハルト独裁政権だった。政府や軍に人々は逆らうことができなかった。抑圧が日常だった。その中で人々は生きるすべを身に付けてきた。
俺貧乏、あんた金持ち。だからあんたから貰う。これ常識。あんた怒っちゃ駄目。
その通り。何事も上手くいかなくても、近代国家の効率で考えては駄目だ。
すると魔術は、奇跡を生む。時に騙され、時に警戒心を緩めず。半分信じて、半分疑う。
これが俺には熱帯の心地いい緊張感だ。
しかし、インドネシアは広かった。東西に5000キロ以上。アメリカを上回る。
全てに行くことは無理だった。東ティモールは別の国になっていた。毎日便もない。
とりあえずカリマンタンに行くことにした。 |
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