後藤和夫
text by Kazuo Goto






Ж 1997年1月。私は、一人でセルビア共和国の首都ベオグラードにいた。
全くのプライベートだった。

ベオグラードでは、前の年から、大学生、高校生たちが、メインストリートを占拠して大掛かりな民主化運動を繰り広げていた。私はそれが見たかった。

ボスニア内戦は、少し前に収束していた。ボスニア・ヘルツェゴビナの独立を巡って、クロアチア、モスリム、セルビア人らもとは同じ国を構成していた民族の、血を血で洗う内戦。旧ユーゴスラビアの盟主であるセルビア共和国はボスニアのセルビア人を援護、民族浄化の名目で残虐な行為を繰り広げ、国際的な非難を浴びていた。いわば、ベオグラードはその総本山。ミロシェビッチ大統領は、セルビア人の蛮行を陰で操る人物とされていた。

そのベオグラードで学生たちが、民主化を叫び、長期にわたるデモを繰り広げている。それには一体どんな意味があるのか。

私はそれを知りたかった。それを見たかった。

私が一人で行ったのは、その私の思いが、テレビの企画として通らなかったからであった。

私は20年来テレビの仕事をしてきた。多くはテレビ局の依頼による番組作りだったが、時には、自分から企画を出し、局の同意が得られれば資金を出してもらい番組を作ってきた。しかしその時は,私の『ベオグラード企画』に関心を示してくれる局のプロデューサーはいなかった。

だから、この時の旅は、結果として番組にはならなかった。私の小さなデジタルカメラに収められた、私だけの記憶となった。

私は今でもその記憶を大切なものとしてしまいこんでいる。


Ж ベオグラードから、サラエボまではバスの旅だった。朝3時、かつては同じ国でありながら、冷戦終結後引き裂かれたセルビア共和国とボスニア・ヘルツェゴビナ。私には、クロアチア人もセルビア人も、モスリムも同じ顔に見えるのだが、バスに乗っている日本人は間違いなく私一人だった。

窓から、カメラを向け、セルビアからボスニアまで、私は戦火の跡を撮影し続けていた。ここで一体何があったのか。焼け崩れた建物と、今このバスに乗り合わせた人々とはどんな関係があるのか。内戦で引き裂かれた親戚 に会いに行くのだろうか。内戦で一時避難していて、今ようやく帰るのだろうか。私の想像は続く。私の決して経験してこなかった現実,それをこの人たちは背負っている。昨日まで友人だった者と銃火を交える経験をした人々。バルカンの冬は暗く冷たく、皆、押し黙って、バスの揺れに身を任せている。

その中にぽつんとまるで異物のように乗り合わせた私。 遥か東洋から来た、異邦人である私。ここにいることの、微塵もの切実さを持ち合わせていない私。彼らにとって、私はどんな存在に見えるのだろうか。

『お前は,人の不幸を見に来たのか』
『お前にバルカンの悲劇の何がわかるというのか』



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