なんという枯れようなのだ。かつて、官能美を描いて右に出る者のなかった映像作家の、現在の心情が切々と伝わってくる。それは、異国の地で自らの才能と闘うピアニストに託された。人種も身分も違う女性への叶わぬ想いとは、老醜と闘うベルトルッチの愛欲と作家としての絶望感に他ならない。
君の故郷へ行くことも厭わない、と言い寄る男は、あなたにアフリカの何がわかると言うの! と拒絶される。まるで、過去にサハラを彷徨しても、実は愛欲の果てに辿りつけなかった作家の告白にも聞こえてくる。チャイナの異国文化と対峙しても、エキゾチックへの驚異という西洋人の視点を超越できなかった懺悔にも思えてくる。とすれば、ピアノを売り払ってまで、彼女への愛を実行しようとする姿とは、映画という表現手段を捨て、たとえ一方通行の想いであっても、生涯、愛欲に生きることを誓う作家の宣言なのか。
前作『魅せられて』でジェレミー・アイアンズに託されたリヴ・タイラーへの視線は、若き肢体への羨望に留まった感があったが、このデヴィッド・シューリスに託されたサンディ・ニュートンへの想いは切実だ。肉体的な見返りを求めない、老いた男の枯れた性愛。それでもなお瑞々しいのは、自分自身の生理に忠実な愛の映画であるからなのだ。 |
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