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『アルノー・デプレシャン レトロスペクティブ』

高橋諭治
text by Yuji Takahashi
デプレシャンが紡ぐ、繊細で魅惑的な“ざわめき”をスクリーンで
 4年ぶりの最新作『エスター・カーン めざめの時』が、この秋公開されるアルノー・デプレシャン。それを記念したレトロスペクティブが池袋のシネマ・ロサで開催されている。8月10日のオールナイトには何とデプレシャン本人が来場するという。つい数年前まで池袋に住み、学生時代から同劇場の常連客だった筆者としては「凄いぞ、ロサ!」と叫ばざるを得ない。

 しごく当たり前だが、このレトロスペクティブの最大の意義は“デプレシャン作品がスクリーンで観られる”ことだ。デプレシャンの映画はいずれも表層的には洗練されているが、ビデオ向けとは言い難い。それは何も『そして僕は恋をする』の3時間に迫る長さが苦痛だから、という単純な理由ではない。わずか52分の処女作『二十歳の死』も同じようにビデオ観賞に適さない。物語がどこへ向かっているのかさっぱりわからない曖昧さ、そこが現実なのか非日常なのかも判然としない不思議な空気感、一見理屈っぽい登場人物たちに降りかかる突発的な出来事の数々…というふうに例を挙げたらキリがないほど、デプレシャンの世界は観ているこちらの感性を刺激する要素に満ちている。SFXを駆使したハリウッド大作の迫力を「映画館で体験しておこう」という考えももっともだが、デプレシャン作品の繊細で魅惑的な、ちょっとした“ざわめき”こそスクリーンで感じたいものだ。

 このようなある種イビツな意外性が作品に紛れ込んでくる理由は、おそらくデプレシャンがテクニシャンであると同時に、極めて感覚的、野性的な本能のようなものに従って映画を撮る作家だからだろう。例えば『そして僕は恋をする』の主人公ポールが、プールの更衣室で親友の恋人シルヴィアの全裸を見てしまうシーンの、誰もがハッとさせられるスリリングな瞬間。美しいというより凶暴なまでにおもむろなその撮り方は、頭でこねくり回して思いつくものではない。そもそも論理優先で物事を進める人なら、3時間の映画になどならなかったはずだ。

 デプレシャン未体験の人の中には、彼の作品を“高尚なフランス映画”と想像して敬遠している人もいるかもしれない。ところがどっこい、彼が生み出す登場人物はたいてい“馬鹿げた”行動に走り、恋に友情に失敗を繰り返す習性がある。だからこそ私たちはデプレシャンが描く人生に、心底共感したり呆れ返って笑うことができる。もちろんその至福の時間にどっぷり浸れるのは、映画館の闇でこそだ。

『二十歳の死』

『そして僕は恋をする』
『二十歳の死』
出演:ティボー・ド・モンタランベール/ロシュ・レボヴィッチ/マリアンヌ・ドニクール
1991年フランス 52分

『魂を救え!』
出演:エマニュエル・サランジェ/ティボー・ド・モンタランベール/ジャン=ルイ・リシャール
1992年フランス 2時間24分

『そして僕は恋をする』
出演:マチュー・アマルリック/エマニュエル・ドゥヴォス/エマニュエル・サランジェ
1996年フランス 2時間58分

配給:セテラ



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