「FILM」
「DVD」
「VIDEO」
「SOUND TRACK」
「BOOK」
 


 
『ベティ・サイズモア』

清水節
text by Takashi Shimizu
虚構は現実を超える!? メディア世代のバイブル登場
 
 
NURSE BETTY
監督:ニール・ラビュート
出演:レニー・ゼルウィガー/モーガン・フリーマン/クリス・ロック
2000年アメリカ
1時間50分
配給:UIP
5月12日公開


● 現実とTVの世界を混同してしまうヒロイン、ベティを『ザ・エージェント』のレニー・ゼルウィガーが好演。ユニークな展開で飽きさせない異色ドラマ。


http://www.uipjapan.com/nursebetty/
 
 リアリティという言葉はやっかいだ。使う人間の世界観の持ちようで、まったく意味合いが変わってきてしまうのに、映画を語るときのモノサシとして重宝がられ、みんな思い思いに使っている。リアルの基準なんて、所詮は曖昧なのに。映画やTVや音楽やゲームの中にばかりウツツをぬかしていないで現実をしっかり見据えなさい、なんてお説教は、とっくの昔に効力を失うほどに、身の回りには幻想がいっぱい。“メディアの中のリアリティ”も“日常のリアリティ”と拮抗するほどに、もはや現実の一部といっていい。デジタルなコミュニケーション手段も含め、いまや、メディアと日常の境界線を浮遊する“メディア的な現実のリアリティ”を生きているとしか言いようがない。

 そんなぼくらの気分を、ヒロインのベティは体現してくれる。モノは手に入っても、なりたいものになれず、理想的なパートナーはTVドラマの中にしかいなくて、思うように展開しない日常にうんざりし、しかも生理を抱える自分に辟易しながら、しがらみや不自由を超える場所としてのメディアの中へ逃避してしまう。いや、正確には夫が殺害された現場を目撃した精神的ショックから、ベティのこころは、憧れの昼メロの世界へと逃避するしかなくなり、医学的症状として虚構と現実を混同していくのだが。そして、架空の恋の相手とめぐりあうため、ひたむきに突進し、カンザスからハリウッドまで2000キロを疾走する。

『トゥルーマン・ショー』でも『カラー・オブ・ハート』でも虚構と日常の対立構造の中で、リアリティを求めてもがく人物は描かれた。ところが『ベティ・サイズモア』は、対立していたはずの2つの世界が交わっていく展開を見せる。ベティの熱意は、日常を生きる昼メロ役者をも突き動かし、キスシーンは現実のものとなる。もちろん現実は手強くて、ベティの夢を長続きさせないのだが、まるでTV役者でしかなかった『ギャラクシー・クエスト』の乗組員がホンモノの宇宙で力を発揮したように、ベティの思い込みの強さもファンタジーには終わらない。困難に突き当たっても、日頃鍛えた空想力は、確実に現実社会で発揮される。虚構は現実を変える力を持ち得るのだという信念。空想する力が現実を上回ってしまう快感。これは、女性向け自分探し的ロードムーヴィーの顔をしていても、なんともしたたかなメディア世代の新たなバイブルなのだ。


 

「スロウトレイン」に掲載の記事・写真・カット等の無断転載を禁じます。© Works m bros.