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第15回 第1部・最終回「フォッグ・シティへ」

第14回「エルヴィス・コステロの黒い帽子」

第13回「マット・デイモン:雨の日の男 3」

第12回「マット・デイモン:雨の日の男 2」

第11回「M・D:雨の日の男 1」

第10回「ゲイリー・オールドマンを待ちながら」

第9回「ダイアナ・クラールのアルファベット療法”」

第8回「ジョニ・ミッチェルの“悲しき酒場のバラード”」

第7回「ジョニー・リー・ミラーの劇場で」

第6回「ケビン・スペイシーと月明かりのビューティー」

第5回「ニコール・キッドマンのショー・ウィンドウ」

第4回「デイヴィッド・クローネンバーグの処方箋」

第3回「ロバート・カーライルの虹色の瓶」

第2回「エドワード・ノートンとお茶を」

第1回「デイヴィッド・フィンチャーの雨降る家」
 





2000.10.25 UPDATE
 
大森左和子
text by Sawako Omori


 



レイン・シティ。それは世界のどこかにある街。
名前通り、雨や曇の日が多い。
夜になると、ストリート・ライトが道しるべ
・・・・・・。


 
 

 その朝、ホテルのベッドで強烈な痛みを感じた。
 それで目が覚めた。

 気づいたら、左足に大きな傷がある。
 足のつけ根からくる節まで、赤い線が走る。
 かつて女はそんなストッキングをはいた。
 後にくっきり線のある絹のストッキング。
 それは足を保護したが、傷は足に痛みをもたらす。
 いつ、そんな傷ができたのか分からない。
 きのうまで、なかったはずだ。
 今は痛くて、歩けない。
 ホテルに常勤するジーン・ハックマン医師に相談した。


 「最近、何かありましたか?」
 医師にそう尋ねられ、1週間の出来事を反芻する。
 いつも通り、レイン・シティを歩いただけだ。
 これまで会ったことのある人々とすれ違った。
 エドワード・ノートン、ダイアナ・クラール、ジョニー・リー・ミラー。
 みんなと軽く会釈をかわした。
 ニコール・キッドマンに似た女性ともすれ違ったが、
 その女性は知らぬ顔で通りすぎた。
 私が、知っているニコールではなく、別のニコールなのだろう。
 そして、ひとりの見知らぬ男に出会った。
 どこか疲れ、寂しそうだが、目の中に不思議な光が見えた。
 すれ違った時、目にひきつけられた。
 彼を見て、体中に不思議な感情が広がった。
 翌日になっても、その目が、妙に忘れられず、
 彼は夢の中にも出てきた。


 そして、今朝、目覚めたら、左足の後部にまっ赤な傷が走っている。
 話を聞いたハックマン医師は言った。
 「一度、街を出たらどうだろう?」
 彼はフォッグ・シティにある医者への紹介状を書いた。
 「彼なら、直せるだろう」
 ハックマン医師に松葉杖を貸り、診察台を立つことができた。
 ホテルの部屋に戻り、荷作りを始めた。
 善は急げ。明日、旅立つことにしよう。

 その夜、また、あの男を見た。
 色白で細身だった。
 この日、彼は黒いズボンの裾を少しまくってみせた。
 「ここに大きな傷があるんです」
 まっ赤な傷が右足の後部を走っていた。
 とても直視する勇気はない。
 彼は優しくほほえむ。目の光が忘れられない。
 気づくと、全身に汗をかいていた。
 目の前には白い天井。男は夢だった。

 翌朝、まだ薄暗いうちに、ホワイト・ホテルを出る。
 レイン・シティでの6か月。
 去りがたい感情もこみあげたが、早く傷を直したい。
 車の鍵を入れ、アクセルを踏む。
 もやに包まれた街へ車はすべり出す。
 走ること2時間。
 遂にレイン・シティを離れ、フォッグ・シティに到着した。

 その街にはグレイ・ホテルがある。
 杖に支えられながら、予約した部屋に入る。
 灰色の壁で統一されている。
 荷物を出して、さっそく病院に向かう。
 車で10分ほどのところにある。
 病院に入っても、誰の姿もない。
 ここもホテル同様、灰色の壁だ。
 廊下にあったマイクロ・フォンのボタンを押すと、
 男の声が聞こえ、病室のベッドで待つよう指示があった。
 黒いロング・スカートをたくし上げ、左足の長い傷口を見る。
 痛みは、まだ、消えない。

 その時、白衣姿の医師が現れた。
 彼の顔に見覚えがあった。
 目を見て、すぐ分かった。夢で会ったあの男だ。
 細身で、色白。優しそうな、悲しそうな顔をしている。
 「ひどい傷なんです」
 そう言うと、彼は笑う。
 彼の黒いズボンの裾から、赤い傷が見えた。
 そう、彼の右足にも傷があるはずだ。それも夢で見た通りだ。
 「傷口を見ますよ」
 痛みがますますひどくなる。彼はスカートを少しずつ動かす。
 「そっと目を閉じて」
 気づくと、白衣を着ているのは自分で、男の方がベッドに横たわっていた。

 「ひどい傷なんです」
 今度は男がそう言う。
 最初は正視できなかったのに、白衣を着ると、義務感から勇気が出た。
 男の足を見ていた。
 「そっと目を閉じて」
 職業的なセリフをはき、彼のズボンを動かし、
 傷口を、遂に直視する。
 足のつけ根からくる節まで、赤い線が走っている。
 自分の傷口にそっくりだった。
 彼のは右側に、自分のは左側に。

 「でも、傷のない足がもう一本づつあるから、
 ふたり分を合わせれば歩けます」

 その声で目を開ける。
 患者は再び患者に戻り、医師は医師に戻っていた。
 と、その時、傷が消えていることに気づいた。
 「私のも消えました。ふたつの傷が互いを消しあった」
 しかし、痛みは残っている。
 「痛みがどこまで続くか、誰にも分からない。
 でも、一緒に歩きましょう。
 私の傷を消すために、あなたが必要だった。
 ハックマン医師は、それを知っていたんです。
 そんな傷を持つ人、あまりいませんから」
 彼が差し出した手をとり、診察室の外に出る。
 どこまでも霧がかかり、何も見えない。

 ここはフォッグ・シティ。
 傷は消えたが、痛みはそのままだ。
 でも、同じ症状の男が、不思議な安堵感をあたえる。
 「ええ、私にも、心地いいです」
 何も言わないのに、彼はこちらの気持ちを読む。
 「ふたつの傷を通じて、奇妙な回路ができたんです」

 霧、また、霧。

 やがて、霧の向こうに、かすかなオレンジ色が見えた。
 「他の街では、あれは“光”と呼ばれています。
 でも、ここではそれさえも、はっきり見えない。
 輪郭がうっすら見えるだけです。
 でも、いい兆候です」

 オレンジ色のライトらしきものが、一瞬、キラリと通りすぎる。
 何もかもぼやけているが、雨の街と違って、傘は必要ない。
 「慣れると、ここも捨てたもんじゃない。
 グレーの街もいいもんです」

 その声が、さらに安らかな響きを残す。
 痛みさえも、やがて、あいまいさに包まれるかもしれない。
 グレーの住人となり、いつまでも霧の中を歩いていた。
 ――終――
 
 
MUSIC : "EMBRACEABLE YOY" Gerge Gershwin played by Andre Previn & David Fink

いつもはスターや監督をモデルにストーリーを書いてきましたが、最終回ゆえ、モデルは特定しませんでした。みなさんで、キャスティングして遊んで下さい。でも、どこか、クローネンバーグ風でしょうか。彼の長年のファンだから、仕方ないですね。『スロウトレイン』での連載はこれで終わりですが、もしかすると、いつの日か、どこかのウェブで、また、始めるかもしれません。ひとまず、半年間、ご愛読、ありがとうございました。
大森左和子さんには、近日中に新企画の連載コラムで再登場していただく予定です。 ご期待下さい。(編集部)
 
 
 

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