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第15回 第1部・最終回「フォッグ・シティへ」

第14回「エルヴィス・コステロの黒い帽子」

第13回「マット・デイモン:雨の日の男 3」

第12回「マット・デイモン:雨の日の男 2」

第11回「M・D:雨の日の男 1」

第10回「ゲイリー・オールドマンを待ちながら」

第9回「ダイアナ・クラールのアルファベット療法”」

第8回「ジョニ・ミッチェルの“悲しき酒場のバラード”」

第7回「ジョニー・リー・ミラーの劇場で」

第6回「ケビン・スペイシーと月明かりのビューティー」

第5回「ニコール・キッドマンのショー・ウィンドウ」

第4回「デイヴィッド・クローネンバーグの処方箋」

第3回「ロバート・カーライルの虹色の瓶」

第2回「エドワード・ノートンとお茶を」

第1回「デイヴィッド・フィンチャーの雨降る家」
 





2000.07.22 UPDATE
 
大森左和子
text by Sawako Omori


 



レイン・シティ。それは世界のどこかにある街。
名前通り、雨や曇の日が多い。
夜になると、ストリート・ライトが道しるべ。
“街でいちばん美しい女”ニコールに会いに来たが、
impossible(不可)のスタンプを押され、
街への入場を拒否されたのが、
『M:I』シリーズのトム・クルーズ。
 かつて共演したハンサム・トムを横目で見ながら、
車でやすやすとボーダーを越えていくのがホリー・ハンター。
新しい仕事を始める気らしい。
レイン・シティの夜がふけていく...。


 
 

 それはある激しい雨の夜だった。
 ジャズ・クラブへダイアナ女医の歌を聞きに出かけた帰りのこと(注:9話)。
 道路に激しく打ちつける雨の束の向こうに、不吉な影を発見した。

 クラブの横にある小さな路地で、
 最初、それは何か、黒い固まりのように見えた。
 誰かが忘れた靴がそこにあるようだ。
 そのまま、無視することもできたが、その時、不思議な光景を見た。
 うち捨てられた靴が、ピクリと動いたのだ。
 目の錯覚だろうか。
 靴にもっと近寄ってみる。
 ビルの端の方にころがっていた茶色の靴。
 それはうち捨てられていたわけではなく、持ち主がいた。
 その人物が生きているかどうか心配で、そっと靴の裏を傘の先端で突っつく。
 再び、ピクリと靴が呼吸する。
 生きているようだ。
 薄暗がりに倒れた生き物。
 助けが必要だ。
 どしゃぶりの夜に、はたしてつかまるかどうか心配だったが、
 あわてて大通りに視線を戻す。
 タクシーをつかまえるためだ。

 車は何台も通りすぎていくが、乗車中のブルーのサインがついたものばかりだ。
 靴の生き物が心配で視線を移す。再び傘の先で動きを確認する。
 ピクリと呼吸する。
 しかし、こんなどしゃぶりの夜にほおっておけば、肺炎になってしまう。
 一刻も早くタクシーをつかまえなくてはいけない。
 ブルー、ブルー、ブルー。
 タクシーのサインはどどこまでもブルー。
 赤がくれば生の光、青が続けば死の闇。

 雨の轟音がさらに強まり、泣きたい気分になってきた。
 レイン・シティの雨がこれほど残酷に思えた夜はなかった。
 雨の束には、今や、ほとんど隙間がない。傘をさしていても、ズブ濡れだ。
 白のワンピースが体にピタリとついて離れない。
 もう、ランプの色さえ、見分けがつかなくなってきた。
 とにかく、左手を上げ続ける。
 雨か涙か分からない水滴が、頬をぬらす。
 その向こうに、かすかな光がさした。
 目の前にレッド・ランプの車がいたのだ。
 事態の異様さに気づいた運転手は、あわてて中から出てきた。

 彼は靴の生き物を発見して、かけ寄った。
 運転手と一緒にそれを抱き上げ、車の中に運ぶ。
 どうやら、男だ。
 滞在先のホワイト・ホテルを指示した。
 頬を水滴が伝わる。その雨は生温かく、車の中で大降りとなった。

 ホワイト・ホテルの部屋に男を運んでもらい、すぐに医者を呼んだ。
 ホテルにはジーン・ハックマンという専門のドクターがいた。
 運転手と入れ代わりに、ドクターがやってきた。
 ベッドでうつぶせのままになっている男を起こし、助手と一緒に服をぬがせた。
 聴診器で様子を探った後、ホテルのパジャマを着せる。

 「肺炎ではないね。大丈夫だ」
 ドクターはそう言って、注射器を取り出し、男の腕にさした。
 ピクリと男の体が反応し、腕にひとすじの血が流れる。
 傘の先ではなく、針で、今度は男の命が確認される。
 「衰弱はしているが、このまま寝てれば、大丈夫だろう」
 その時、初めて男の顔を見た。まだ、青年っぽさが残っていた。
 ごつごつしたかんじで、頬が張っている。
 髪は栗色。中肉中背の体つきだ。
 特に印象的な顔ではないし、かなり、やつれている。
 でも、その見知らぬ男の体内に、レッド・ライトがともったことに感謝したくなった。
 生温かい雨が、再び頬を伝わる。

 男は3日目にめざめた。
 「あの……」
 その声で、ある朝、目覚めた。
 低く、はりのある声が、ソファで見ていた夢の中に飛び込んできた。

 「ちょっと……」
 男にベッドを占領され、ソファで寝る日が続いていた。

 「ここ、どこです?」
 初めて男を生きた現実として認知した。

 道で倒れ、3日間、眠ったことを説明した。
 彼の顔は少しだけ優しさを取り戻す。
 ごつごつしていて、やはり、美しさとはほど遠い顔だった。

 「あなたは道で倒れていた。これ、よかったら、書いて」
 男に一枚の紙を差し出す。

 「あなたの名前と住所」
 その時、男の顔にともったレッド・ライトが再びブルーに戻る。

 「名前……」
 青年は、自分が誰だか、思い出せなかった。

 とんでもない荷物をかかえてしまったのだろうか。
 旅行者の身で、みず知らずの男の面倒をみている。
 思えば愚かなことをしているのかもしれない。
 しかし、雨の夜、選択の余地などなかった。

 ドクターは、しばらく、彼をとどめようと提案した。
 記憶がないのだから、そうするしか仕方がない。
 物置に利用していた部屋を、しばらく、寝室に変え、
 簡易ベッドを用意してもらった。

 それから、さらに3日が過ぎた。
 早朝、簡易ベッドで目覚めると、男の姿が消えている。
 どこかに行ってしまったのだろうか。
 あわててホテル中を探す。メイン・ロビー、電話室、球技室。
 しかし、姿がない。

 と、その時、パブの方からピアノの音が聞こえてきた。
 朝日がさすパブには、誰もいないはずだ。
 それなのに、ピアノだけが響く。
 それはバッハの幻想プレリュードだ。
 大きく黒いグランド・ピアノの向こうにいたのは、青年だった。

 しばし、その美しい音のうねりに魅せられる。
 物悲しい響き。左右の音階が交錯しながら、下がっていく。
 彼は、すっかり音の世界の中にいた。
 曲が終わり、人の気配に気づく。

 「なんだか、たまらなく弾きたくなって」
 次に彼が弾いてみせたのは、『ユー・ドント・ノー・ホワット・ラブ・イズ』。
 物悲しいブルースだ。

 <痛みを知るまで、本当の愛は分からない>
 そんな歌詞の歌だった。

 ごつごつした青年の顔が、いつもと違って見えた。
 彼の目に、その時、悲しく、優しい光が宿った。
 曲を弾きおえた後、彼はこちらを見た。
 その顔は美しかった。しかし、それはほんの一瞬だけ。
 ピアノを弾きおえた後は、また、いつものごつごつした顔に戻る。
 立ち上がって、彼は言った。

 「名前は……マット・デイモンだ」  (つづく)
 
 
MUSIC :
YOU DON'T KNOW WHAT LOVE IS(CHET BAKER),
PRELUDE(FANTASIA) IN A MINOR BWV 922
(ALFRED BRENDEL)


 今年の夏、やっぱり、個人的な一押しは『リプリー』。こんなに陰影のある美しいフィルム・ノアールは久しぶりだ。主演のマット・デイモン、世間ではイイって声、あんまり聞かないが、私は惚れ込んでしまった。その証拠に、『レイン・シティ』シリーズ、始まって以来の続き物。彼、チェット・ベイカーのまね歌もうまい。で、この映画のパロディとして、書いたのが、今回の作品。音楽も、映画のものを拝借して、チェットのレパートリーとバッハ。
 
 
 

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