最近、また多忙な生活が続き、疲労感で体がだるい。
しかし、以前のクローネンバーグ診察室ではひどい目にあった(注:第4話)。
前にドクターを紹介してくれた友人に電話をすると、別の所を教えられた。
「今度は女の先生を紹介するわ。ダイアナ・クラールの病院。
精神療法できくみたいよ」
ダイアナの本業はジャズ・シンガーだ。
しかし、精神分析医の資格をとり、疲れた人々の治療にあたっている。
顧客のひとりにはクリント・イーストウッドもいる。
彼はレイン・シティから100キロ離れたダスト・シティに住んでいるが、
時に彼女の病院にもやってくる。
それが縁で彼の映画にダイアナは歌を提供した。
アルバム・ジャケットを見る限り、ダイアナはクールなブロンド美人だ。
落ちついた低音で、ゆったりと大人の夜を歌う。
歌声をきいていると、疲労感が少しづつ溶けていくようだ。
今度は変な薬を出されなくてもすむかもしれない。
「変な薬?」
ダイアナの病院を訪ね、クローネンバーグ医師のことを告げると、
彼女は笑い出した。
「でも、彼も私と同じカナダ出身。悪くいう気にはなれないわ。
彼の治療が効く人もいるのよ。ジェームズ・スペイダーなんて常連。
私は薬は出さないわ」
ダイアナの病院は滞在中のホワイト・ホテルのひとつ先のブロックにあった。
グレーのビルの屋上のドーム型の建物。
まるでプラネタリュウムのようだ。
グレーのメタリックなドアを開けると、黒い壁があった。
オレンジの小さな明かりが見え、”ダイアナの診察室”という文字が読めた。
ドアをノックすると、白衣を着た大柄の美しい女性が出てきた。
中は……本物のプラネタリュウムだった。
「私は薬は出さないわ」
そう言った後、ダイアナは準備を始めた。
「このカードを一枚ひいて」
ブルーのカードをひく。裏に返すと、Sが出た。
ダイアナは椅子にすわるよう私に言った。
「うちはアルファベット療法なのよ。あなたはSを選んだ。
空を見て」
プラネタリュウムには小さな星がきらめく。
最初に目に入ってきたのは北極星だろうか。
やがて、まばゆい光が近づいてきた。
それは、太陽だ。
初めは直視できなかったが、目を細めると、形がつかめた。
まるで大きな人間の唇のように見える。
クローネンバーグの処方箋では太陽のない青空を見たが、
今度は夜空に太陽が浮かぶ。
激しい熱を放ちながら、大きな唇が近づいてくる。
赤く、ルビーのように輝く
夏の夜より温かい
それはあなたの唇
あの夜、
私の方に近づいた
それは真夜中の太陽
遠くで歌が聞こえてきた。それはダイアナのク−ルな声だ。
今も忘れない
あの太陽が
私の孤独な夜を照らしだした
全身を焼きつくすような強烈な熱。
巨大な唇はこちらの体を飲み込もうとする。
一瞬、恐怖心が走り、目を閉じる。
でも、あなたは去り
私に残されたのは、
小さな星くずだけ
あなたは
真夜中の太陽だった
目を閉じている間に、太陽はこちらの体をすりぬける。
どうして、そんなことができるのか分からない。
不思議な夢を見ているような気になった。
熱の感触だけが体に残っている。
最初、ひりひりした痛みを感じたが、やがて、甘美で、
けだるいほてりが全身を包む。
再び目の前に星空が広がる。
「これでおしまい。気分はどう?」
再び白衣姿のダイアナがいた。
笑っているが、どこか硬質なプロの表情だ。
「全部、焼いたわ。体の中のものはね」
疲労感は確かに消え、体が軽くなっていた。
ダイアナの手腕は見事なものだ。
病院を出て、ホテルまで歩く。
雨が降ったのか、水たまりができ、ネオンが反射している。
そこに、何か、銀色に光るものを見つけた。
拾い上げると、小さな星の形をしたガラス玉だ。
私に残されたのは
小さな星くずだけ
あなたは
真夜中の太陽だった
Sで始まる言葉を連想する。
SUN
STAR
STARDUST
SHADE
SHADOW
その時、かつて見なれた人物が、通りすぎた気がした。
動揺しつつも、ふり返ると消えている。
ただの幻だろうか。
どうせ、声をかける気はなかった。
過ぎ去った時間の影だ。
私に残されたのは
小さな星くずだけ
そんなダイアナの歌声が頭をかすめる。
確かに体の疲労感は死に絶えた。
しかし、今度は屍になりきれない何かが、
胸の奥でうづき始めた。
