ちかくのミケランジェロの館へもいったが、まあ、こいつはヘタクソである。ぜんぶ自分が主要人物のモデルになっていたりして、醜男の割りにはナルシズムは強烈で、そこは妙に共感したが。
7歳の息子はなにしろ彫刻作品に興味をもっていた。「でけえ、ちんこ」とかいいながら誰もいないのをいいことに触りまくっていた。
フィレンツェではほとんどの夕食を「ダンテ」(! これって「紫式部」という和食レストランに外人が入るようなものか? ここではわしらが外人なわけだが)というパスタ・レストランで食べたが、ここは店に水槽があって、エビ系ばかりを家族で注文したら、店をでるとき、水槽は空になっていた。東洋から、レクター目当てにきた変則旅行者たちの胃袋にあのエビたちはあらかた入ったということになる。おいしかった。フィレンツェに行かれたかたはぜひとも「ダンテ」にいかれるように。
『神曲』を再読しなくてはいけない。『セブン』のとき、『カンタベリー物語』などとともに、「7つの大罪」がらみで机の上に積み上げられたものだが、『ハンニバル』でまたしても『神曲』のおでましとなった。
ルネサンス絵画研究のイコノロジー学派、つまり絵のなかの花はなにを意味し、とか当時は自明であっても今は隠されたものとなってしまった「意味」をあれこれ論じる学派が存在するが、そうしたフィルターでも通さないと絵が魅力あるものにならないということはよくわかった。
しかし、ウフィツイでも興味ぶかいものはあって、それはカラバッジョであり、ヤコフ・ポントルモであり・・・つまり、マニエリスムの一部とバロックの入口にある絵画ということになる。あくまで小生の目の趣味なので、ルネサンス・ファンは怒らないように。
フィレンツェの映画館でもほとんどの劇場をおさえていたのが、『M:I−2』であった。深夜に生ジャズが聞こえたので、起きだしていってみると、駅前でコンサートをやっていた。テントで本を売っていたので眺めていると、平台でずらっと並んでいたのが、吉本ばななの作品集である。すばらしい装丁。ばなながイタリアで格別の人気というのは知っていたが、この冊数ではすべて翻訳されているとおぼしい。
深夜2時をすぎたころ、思い立ってレクターが住んでいたという設定の貴族の屋敷へ歩いて行ってみた。さすがに誰も通らない暗い傾斜路地の中間地点。屋根裏とおぼしきあたりをみあげていると、2階ぐらいで明かりがつき、カーテンが揺れた。