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第1回プロローグ
第2回 『僕はAVをバカになどしていない。“スクリーン主義者”なだけだ!』
第3回 『ピンク映画のパイオニアが手がけたTV動物映画と大阪で遭遇』
第4回 『探検隊なのだから、たまには試写室を抜けて映画館へ』
第5回 『わずか数日で1時間の作品を作りあげるピンクの世界のプロとはそういうものだ』
第6回 『メイキングビデオや一般作など従来のフィールド外で活躍するピンク監督』
第7回 『数々のピンク映画で助監督を務める新進舞台演出家のお手並みを拝見』

▽最新の『ピンク映画探検隊』へ






加藤久徳
text by Hisanori Kato

 第8回 
『モデルと写真家』、
『女は下着で作られる』、
『若妻快楽レッスン 虜』

日本各地をにぎわすピンク映画
その中のいくつかをレポートしてみる


 10月は5〜8日に、「山形国際ドキュメンタリー映画祭」に出かけてきた。1年おきの開催だが、ここ3回ほどは続けて出かけている。東京国際映画祭と比べると、複数のプログラムを見るために生じる、隙間の無駄な時間が少ないのがいい。沢山の作品が見られるから遠出の客には有り難い。今回のメインは日本ドキュメンタリー界の巨匠・亀井文夫の回顧展なのだが、その中にピンク絡みの意外なものがあったので、後の方に記すことにする。

 さて、7日の晩、僕は新潟映画祭関係の人たちと蔵王のホテルに泊まったのだが、彼らに国映のメンバーが新潟にやって来たことを聞かされた。9月にサトウトシキ監督のオールナイト・イベント「サトウトシキ 映画の青い空」が新潟のミニシアターのメッカ、シネ・ウインドで開催され、イベントに合わせてサトウ監督や主演女優の葉月螢ら3人がゲストで呼ばれた。ところが、当日はなんと、国映の女帝こと佐藤さんをはじめ、全部で12人もこぢんまりした劇場に来館したという(実際、12人という多人数のゲストはウインド開館以来、初めてだそうだ)。主催者側には予期せぬ招待客だったらしく、かなり戸惑った。新潟のIさんに、他に誰が来たのか尋ねたところ、監督の女池充がいたそうだ。劇場が発行する月刊ウインドというプログラム・マガジンがいつも僕の手元に送られてくるのだが、それを読むとサトウ監督と女池監督、葉月嬢の名前しか載っていなかった。Iさんは「他にも監督や役者がいたみたいだけど、名前なんかわかりゃしないよ。知らないもの!」。僕は「彼らはなぜ集団で来たのか?」と問いかけると、「女池監督が新潟の出身なんだよ。女池という名前は新潟の地名だから」とのことだった。

 どうやら全員、自費で来たらしく、泊まるところも確保したのだろう。“いやー、国映さんは金があるなあ”と正直驚いた。おそらく、10月に東京・中野武蔵野ホールで行なわれる“P−1 GRAND−PRIX 2001”の宣伝を兼ねて、国映軍団のPRに来たのではないかなと勝手に解釈した。確かめたわけではないからね。それにしても、あとの9人が誰かは想像できるにしても、新潟の人たちに有象無象扱いを受けているとは、ちと哀しい。


 そして10月のP−1。僕は一切近寄らなかった。P−1に対する僕の心境は、昨年の映画日記に書いている(バックナンバーの第7回、25、27日を見てくれ)。関西のピンク専門誌「ピンクリンク」編集部の太田さんに勝敗の結果を聞くと、一般映画に転向したはずの瀬々敬久監督が優勝したという。昨年は敗退したP−1の仕掛け人が2回目で見事、雪辱を果たしたのだ。ということは、昨年のサトウ監督に引き続き、四天王が後輩たちを押さえつけたということになるから、七福神&アザーズたちは世代交代を今年も成しえなかったわけだ。

 決勝は瀬々、今岡信治、榎本敏郎、工藤雅典の4者による得票争いだったらしく、太田さんは「ピンクリンク」がイチ押しする工藤監督がベスト4に入ったことで、目利きの正しさに満足しているとのたまわった。P−1は12月に京都のみなみ会館でも“P−1京都”として開催されるそうだ。またも軍団が大挙して押し寄せるらしい。国映は金がある。一般的には低く見られているピンク映画を、団結して自分たちで盛り上げるのだ。生きている証しのためにね。


 同じ10月の27日から東京・渋谷で、第14回東京国際映画祭が開催された。その中の、東京国際女性映画祭(昨年まではカネボウ女性映画週間。冠こそなくなったが、今もカネボウはスポンサー)に、浜野佐知監督が一般映画『百合祭』を出品している。『百合祭』については、9月のこのコラムで触れているので確かめてほしい。

 29日の月曜日、僕は女性映画祭の記者会見に出かけた。浜野監督は女性ドキュメンタリー監督の羽田澄子やオランダ女優のレネ・ソーテンディークらと一緒にいて浮き浮きしている様子だった。サングラス越しでもよく分かる。浜野監督が女性映画祭に招かれるのは1998年の『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』以来2度目のことだ。彼女の存在を知ったのはそのときが初めてで、当時はピンクを亀有で見てはいても、僕にとって彼女の映画は全く見る範ちゅうに入っていなかった(つまり、それが僕のピンク映画レベルということだな)。

 さて、ここで問題なのは彼女ではなく、映画祭ディレクターと称する女性の口から出た何気ないコメントの方なのだ。「劇映画の分野では、女性監督が撮った作品数は田中絹代さんの6本が日本では最多です。ここにいる松井久子さんも今回の作品で2本目という有様です」という類いのコメントだった。その前の浜野監督の挨拶の中で、「私は一般映画は2本目ですが、ピンク映画は30年間の間に300本以上撮ってきました」とコメントしているのだ。それでも、この女性ディレクターの目から見れば、女性を性の慰みもののように扱うピンク映画は、いわゆる外国ポルノや日本のAVと同じで、劇映画とは別ものなのだろう(見て知っているかは分からないがね)。

 はっきり言う。ピンク映画は劇映画である。ドラマもストーリーも存在する。浜野監督だって自分の作ったピンク映画の中で、“女性のセクシュアリティを追及した”と会見の場ではっきり発言している。テーマ性を盛り込んでいるのだ。それなのに、この女性ディレクターは分かっていない。女性監督の地位向上を映画祭のテーマのひとつにしているにも関わらず、ピンク映画を劇映画と認めない姿勢を暗にほのめかしている。そして、その傍らに浜野監督が浮き浮きしながら鎮座している不思議…。浜野監督は「私は3年前の1998年に、本当にこの女性映画祭に出すことだけを夢見て、第1作『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』という映画を撮りました。そして3年経った今、この『百合祭』で再び参加できることをうれしく思っております」と全身で喜びを表していた。国際映画祭に参加するということは名誉なことなのだ。以前にカンヌ映画祭に呼ばれたときの感動が、きっと忘れられないのではないか。

 それはさておき、身近で「日本の女性映画監督は6本以上、劇映画を撮った人はいない」と言われて浜野監督はどう感じているのか。今後も映画祭に参加したいなら、笑顔で沈黙するのが正しい大人の反応だが、何も感じていないのなら、かえって心配だ。この場で本人に質問するのも本筋だが、ピンク映画の地位の低さを考えたら、こんな晴れがましい席上で返答を要求するなど、いよいよ惨めったらしい。う〜ん、やってらんない…。




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