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2002.12.24UPDATE
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加藤久徳
text by Hisanori Kato |
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第14回
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『人妻ブティック 不倫生下着』 『OL発情 奪う!』 『キミニ惚レテル』 |
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一般映画の性表現のエスカレートぶりに負けぬよう ピンク映画も新たな性表現の意識改革が必要かも?
いやぁ、驚いたな。僕が前回に書いたのはゴールデンウイーク頃のことだから、5か月以上も経っている。もう冬だよ。季刊どころか、半年刊みたいだ。一体、探検隊は何をやっていたのやら? 地方在住の知人や友人に「探検隊どうしたの?」と最近よく言われる。試写室で会った榎本敏郎監督にまで聞かれたのにはビックリした。読んでいたのか…。
いずれにしろ、ありがたいことです。でも、喜んでばかりもいられない。前回に書いた内容が、関係者に波紋を呼んでいるらしい。それについては次回に記したいと思う。この2年間の間、僕もピンク映画界について、いろんなことをリサーチしてきた。自分の体験も含めても、一方的なことは書けなくなったし、実際に問題の前回からは書いていない。それだけはお断りしておく。とにかく、「PG」の新刊も出たことだし、今回は縁起でもない話題はやめておこう。
6月に『クーラー消してもいいですか?』を池袋シアターグリーンで上演した劇団・天然工房主宰の気鋭の演出家・森角威之(ピンク映画では助監督を務めている)は、早くも9月に同じシアターグリーンで『まんぷく寺の懲りない面々』を発表している。今年3回目、これまでで6回目という非常な勢いで劇作活動を続ける森角だが、舞台上に登場するおなじみの役者たち(松田信行、平川真司、瀬戸弘司、中谷千絵…、そしてピンクでもおなじみの飯島大介)が、絶妙なリズム感とチームワークをもって抱腹絶倒な笑いを生んでいた。森角は手慣れた演出ぶりを見せられるようになったと思う。もっとも、本人はそれを不安材料にしているようだ。慣れは必要だが、慣れ過ぎれば確かに危険だ。僕は彼に期待感を持っているから、その精神はおおいに買いたい。
『クーラー消してもいいですか?』のとき、僕は彼に「そろそろオリジナルからクラシカルな戯曲を独自の視点でやってみたら?」と囁いた。自作のシチュエーション・コメディ一筋に腕を磨いている彼だが、今回の完成度の高さで一応の完結をみたのではなかろうか。妖艶・愛染恭子の突然の休演で台本の変更を余儀なくされたものの、90分という映画同様な短い時間枠の中によく収めたものだと思う。でも、もう変革のときかもね。年に3作というスピードぶりがそれを云わせるのだが…。
さて、探検隊長が今後のピンク映画界の方向で注目したいのは、性表現の方法だ。何をいまさらと思わないでもないが、一般チェーンに出る外国映画の性表現のエスカレートぶりが半端じゃないからピンク負けるなと、ついつい老婆心が出る。
大蔵、エクセスのチェーンに出る成人向け映画は、撮影現場においては、男女優とも裸体が必要なシーンには前張り着用が基本的に必要であるのは昔からのこと。これは、映倫やら観客に局部露出を見せないための配慮だけじゃなくて、現場の当事者の心理的、感覚的な問題も含まれる。たいへん微妙なことだから。しかし、見る側は露骨に本物が見たいといういやらしい欲求がムズムズと鎌首をもたげるものではある。“良い作品が見たい”なんて口では大層なことを言っている熱烈なピンク映画、いや、大抵の映画ファンなら誰でもが心の奥底に持っている願望だろう。書いてる本人なんか特にそうだ(笑)。
しかし、別にピンク映画をもっといやらしく、卑猥にしろと言っているつもりではない。どこまで偽者を本物らしく、あるいは、本物を偽者らしく観客に見せられるかが重要なのだ。ダイレクトに言えば、映倫審査に常に引っかかる、男と女のアソコの撮り方、見せ方のことを差す。
長年にわたる映画界側と映倫・税関との性表現闘争の末、“性行為シーンや男性器が勃起した状態でなければ(例えば入浴シーンとか水浴シーンなど)スクリーン上に無修正で上映OK!”となったのは近頃のこと。まめに外国映画を見ていれば、意外な映画で大事な部分を高らかに誇示したオールヌードのシーンを目にした人は少なくないと思う。今年公開の『es[エス]』や『天国の口、終りの楽園。』のように、多くは単館系に多いのだが、邦画のほうでも(例えば、新藤兼人監督『三文役者』での荻野目慶子のフルヌード)無修正映画は増えているし、ピンク映画だって男女優ともにスッポンポンは珍しくなくなった。しかし、僕が注目したいのは、あくまで性愛シーンにおける方法論だ。
今年の“フランス映画祭横浜2002”で上映された『セックス・イズ・コメディ』には驚いたな。これは映画撮影現場の裏側を丹念に描いた内幕モノだ。ポッと出たての新人女優が処女を演じ、恋人との最初の夜を撮影するというエピソードが内幕モノならではの克明な観察描写で描かれる。フランス人にとっての映画の地位は芸術を意味するから、日本人の僕にも撮影現場は究めて厳粛な工房のように映って見えた。そこで、恋人役を演じるグレゴワール・コランは、“女性監督”から自らの男性器に本物ソックリの見事な張り型を付けるよう指示される。芸術のためとはいえ、共演の新人女優に過度なショックを与えぬためという理由ではめさせられるのである。僕があっけにとられたのは、準備休憩中のコランが、スッポンポンのまま張り型を付けてスタジオをうろつき回るシーンだ。大笑いするスタジオ内の女性スタッフたち。確かに滑稽だった。しかし、その張り型は、劇中で本番のキャメラが回ると我々の目には本物にしか見えない(しかもほんのわずかしか映らない)。芸術である以上、本物に映ってこそ張り型を使用した意味があるわけだ。第一、男性器は偽者でも、画面に露出したコランのヘアーは純毛であったはずだ。かつて話題になったモックンの写真集みたいに“謎の付け毛”ではあるまい。と思うのはこちらの勝手な推量で、実は劇中のコランは本当は未装着だったかもしれない。アップで撮られているわけではないから、疑似かどうかは肉眼ではわからんのだ。映画の面白いところはそこだな。
ここで思ったのは、その見事な張り型と言うのは、実は従来から使われている古典的なもので(たとえば、伝説のヒット作『エマニエル夫人』などで)、今まで日本人は気づかなかっただけかもしれない。日本の映倫は単純に“NO”を繰り返し、我々観客もボカシの画面のために判別がつかなかった。いや、もしかすると大島渚の『愛のコリーダ』がフランスで公開されたときは、フランス人たちは藤竜也のアレを張り型と思って見ていたのかもしれないとかね…。まあ、それは極端な話で信憑性ゼロだが、この『セックス・イズ・コメディ』を見せられたら、そう思っても不思議じゃない。
結論として、ピンク映画界も新たな性表現の意識改革が必要ではないかなということ。セックス・シーンの前のカットには、男優は本物ソックリの疑似ペニスを装着して観客を騙くらかすべきだ。観客に淫らな妄想を抱かせるのが本来の目的の成人映画なのだから、あくまでも本物志向を強調し、映画の魔術を徹底するべきだ。映倫には疑似ペニスを提示して偽物をアピールすればいい。また、映倫が本物と勘違いするくらいのものでなければ、腰を振らないアート系映画にも負けてしまう時代に来たと思う。
とにかく、男たちが芸術のために素っ裸になる『es[エス]』が女性だけの試写会として開催された会場に、女の子たちがズラリと並んで開場を待っている異様さが忘れられない。『セックス・イズ・コメディ』の時だって、客の多くは妙齢な女性たちだった。来年に公開となるフランス映画『アレックス』も凄い。こちらは過剰なまでの異常性表現(主演女優のモニカ・ベルッチ以外は、男優が団体でスッポンポンになる。偽物かもしれないが)を見せるけど、配給のコムストックの社員のほとんどが女性たち。映画本体以上に異様だが、アート系に関しては見るほうも見せるほうも、過激なことが普通になっているのが現状だ。スケベに浸りたいオヤジたちが見にくるピンク専門館の銀幕に映るのが旧態依然としたフェイクでは、21世紀の今、本末転倒ですな。そこから先の絵創りは、もちろん、フィルムメーカーの腕である。
なんて、言いたい放題失礼。現場の人から「それならお前が自分で撮れ」と言われそうだな。現実はもちろん不可能。だからボヤキだ。
さて今回のピンク・レビューは、ちょっと古くなったが、まず新人監督・佐藤吏の『人妻ブティック 不倫生下着』。既にベテランの域に達した二枚目男優・樹かずの初監督作『キミニ惚レテル』と『OL発情 奪う!』の3本立て。
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