例年のごとくアジアフォーカス福岡映画祭に来ている。10日から15日で16本見たうちで、モンゴル映画の『愛のさだめ』をこの日に見た。
遊牧民の男の話である。彼には妻と2人の子供がいる。7、8歳ぐらいの長女とまだ幼い長男だ。そこに3番目の子が生まれる。だが、妻は出産のあと、どうしたものか気が狂ってしまう。都会の専門医にみてもらうことをすすめられる。
それで彼は家族と羊の群れを連れて、はるかに草原を越えて移動をすることになる。狂った妻と生まれたばかりの赤ん坊のめんどうを見ながらだから、大変な旅である。長女がすこしは助けになってくれるが、それでも困難をきわめる。特に感動的だったのは、何十頭、いや100頭以上いるかも知れない羊の群れに川を渡らせるシーンだ。羊は水をこわがるのか、馬で追いたてても、すぐにもどってきてしまう。先に何頭か渡れば、あとにつづいてくるのだろうが、はじめの1頭をわたすこともできない。これまでなら妻と協力して難なくやってきたことだろう。だが、いま妻は何の助けにもならないばかりか、彼女が水に近づくことにも気をつけていなくてはならない。
男は馬から下り、1頭の羊を抱きかかえて川をわたっていく。容易ではない。やっと向う岸に1頭をわたして、ひきかえしてもう1頭…。
これまで西部劇で牛群を渡河させるシーンはずいぶん見たが、カウボーイは馬に乗ったまま牛を追いたて、それにはもちろんそれなりの技術と苦労が必要だが、そんなに汗水たらしての労働という感じがしなくて、まさに牧歌的気分で見られた光景だったものだが、この羊群の渡河にはまいった。日本人が田植えを描くような(最近、映画でそういう光景も見ないが)汗と泥とそれから家畜のにおいが体験的につたわってくる。感動的なまでのリアリズムであり、この必死のはたらきぶりの中に主人公の男らしさが輝きをはなつ。
道中、家畜泥棒のならず者たちにねらわれ、機先を制して銃をかまえ追いはらう一景もあるが、彼の男らしさは、そういう敵とたたかうといったことにではなく、赤ん坊に授乳したり、狂った妻をいたわって羊群とともに旅をつづける、そういう家族をささえる絶え間ない行為にこそあらわれている。
主人公を演じるTs・トゥムルバートルという俳優は、むちむちっとした相撲の強そうな体

の、無骨で朴訥な男らしさをよく出している。その体つきから、ウォーレス・ビアリーを思い出させた。ビアリーも必ずしも敵とたたかわなくとも、弱い者を守るということの中に男らしさを発揮できたスターだ。
しかし、大体においてアメリカ映画は、というよりハリウッド映画はというべきかも知れないが、男らしさというのは敵とたたかうところに発揮されるものだとしてきて、われわれもそれにならされてしまったんじゃないだろうか。
最近の『アンブレイカブル』の中で、サミュエル・L・ジャクソン扮するえらそうな、まんがの原画を売っている画商が、square
jaw(角ばったアゴ)は正義のヒーローのしるしだと解説していたが、そんなアゴをした(つまり劇画調の顔ってこと)筋トレにはげんでいるらしい体のスターばかり最近は目立つような気がする。だから逆にブルース・ウィリスがウケるのか。でもブルース・ウィリスの体はずんぐりむっくりで、ウォーレス・ビアリー的なむっちりとはちがう。
上映後のティーチ・インで、監督のJ・ビンデルも、アメリカ映画とはまったくちがう男らしさを表現したかったと言っていた。家庭をささえるバーナ――ゲル(遊牧民のテント)の柱、日本でいえば大黒柱か――たる父親、夫を描きたかった。亡き父(映画監督D・ジグジド)にささげる映画だ、と。
また、主人公のモデルについても、こんなふうに語った。
「わたしの友人で、オルホン川のあたりで酒をのんでいばって歩いている男がいる。でも、いばっていてもだれも何も言わない。それだけのことはある男だと、みんな認めているからだ。彼の妻は、初めての子を産んだとき気が狂ってしまった。もう1人産むとなおる、と言われて、子供をつくったがなおらず、とうとう子供は5人になった。ある日、家に帰ると、煙が立っていた。妻がなおって、炊事をしていたのだ」
特別な才能のあるわけではない彼を、みんな尊敬しているという。いい話だ。