第1回「映画作家たちによる芝居は演劇的な試みに満ちていた」

第2回「東京から香港に伝来! まんが喫茶の誕生を目撃したが…」

第3回「わずか4日で打ちきり! イップ・トン主演の実験映画とは?」

第4回「さみしい映画興行の一方で香港から期待の双子監督が誕生!」

第5回“男らしさ”の新たな発見 モンゴル映画『愛のさだめ』



2001.2.16 UPDATE

【第一回】
宇田川幸洋
text by Koyo Udagawa


映画作家たちによる芝居は
演劇的な試みに満ちていた



『サンデイドライブ』の斎藤久志監督が初めて演出(脚本も)した舞台劇「お迎え準備」の最終日。初日の10日に見て、これが2度目だ。ほんとうはその間に何度か見て、細かな変化を追いたいと思っていたのだが、なまけてしまった。それでも、芝居をそんなに見ないぼくとしては、同じ舞台を2回見るのはめずらしい。

 舞台劇としては、これはかなり変わったものである。作・演出の斎藤久志もそうだが、出演者がみんな映画畑の人であり、主演の3人は唯野未歩子、鈴木卓爾、井口昇と、みな映画作家でもあるのだ。ことに井口昇は、異常な傑作『クルシメさん』で有名である。おっと、それにあの塚本晋也も〈特別出演〉しているのだ。映画作家ばかりが集まって作った芝居というのは前例がないのではなかろうか。

 映画ばかり見ている者としては、演劇にはあの独特なセリフまわしと動作の大きさがあるので、それがみごとに様式化されているとたのしめるのだが、違和感を感じることもある。とくに不思議なのは、商業演劇の大きな舞台よりも、小さな劇場(靴を脱いで正座させられたり、苦しい体験も多い)でやる芝居のほうが、むしろ大声で叫ぶようにセリフを言ったり、激しい動きをしたりする傾向があるように思えることだ。

「お迎え準備」は、そういう演劇的な演技をしていないのが新鮮だった。はじめから幕のあいている舞台――主人公カップルの居間に鈴木卓爾が出てきて、客席に背を向けたまま、TVモニターに向かって、プレステ2のファンタヴィジョンを始める。観客が鈴木の存在を忘れてゲームのほうに見入ってしまうくらい、えんえんとやっている。この、映画でいえばフィックス・ショットの長まわしのようなリズムは、まさに斎藤久志の映画のものである。

 長まわしのショットというのは、ついその果てに何かの結果を求めたくなる。ひとつの持続した時間のなかに、序破急や起承転結をつくり出したくなるのだ。ワン・カット単位 で劇をつくってしまう。ホウ・シャオシエン(侯孝賢)のようなすぐれた監督も、そのリズムを完成させたあと、ぬ け出すのに苦闘している。『憂鬱な楽園』では、オートバイを走らせるシーンとか、宴会とかにうるわしい脱却が見られた。

 斎藤久志の長まわしは、ワン・カットのなかに結論がなくてもいいのだと信じている、ノンシャランのようでいて強い信念を感じさせる。何をねらっているのか観客に予想させない曖昧さのある演出なのだ。

 そのこまやかなサスペンスのはりつめた空気が、この舞台でもみごとに実現されていた。話は、同棲しているカップルの家に、ロンドンに行っていた高校生時代の友だちの女性エリが帰国してたずねてくることになっていて、ふたりは迎える準備をしていたが、やってきたのは、外見上エリと似ても似つかない者で、しかし、人格はどうもエリらしい、という不条理な喜劇。

 この“エリ”を、なんと井口昇がやっているのである。ただでさえ異形という感のある人なのに、女装してのこの異物感はすごい。しかも演技もうまいので、びっくり。

 映画的な演技で、まるで映画を見ているみたいに、構えずに笑えてたのしめるこの芝居なのだが、これをそのまま映画化できるかというと、そうはいかないだろう。井口昇の女装のなまの異物感から放出されているものが、映像にするとちがうものになってしまうだろうからである。その意味で、これはさまざまに映画的な方法をとりながらも、すべてが演劇的な試みとして結実していると思える。

 中野のMOMOという新しい劇場で、客席80ほどのこの劇場の空間をうまく生かした、まことにたのしい芝居だった。こういうものがしょっちゅう見られたら、芝居も好きになってしまいそうだ。

 初日には『アドレナリンドライブ』の矢口史靖、最終日には『夏に生れる』の村上賢司、『白−THE WHITE』の平野勝之ら自主映画系の作家たちの姿も見られた。日本の映画のいちばんおもしろい部分(とぼくは思っている)がひとつのソサエティをつくっているようだ。

 




 
  まんが家“うしおそうじ”は
円谷直伝の特撮マンだった



 1週間ほど前の朝日新聞の夕刊に出久根達郎が、いま流行のキックボードの原型である「スケーター」(ぼくが子供の頃の昭和30年代には、これで辷(すべ)っている子供がけっこういた)は、円谷英二が大正時代に発明したのだ、と書いていた。鷺巣(さぎす)富雄の自伝にそうあったのだという。鷺巣富雄って誰かというと、これが、うしおそうじの本名だというのでおどろいた。うしおそうじは好きなまんが家で、10年ほど前に復刻された「朱房の小天狗」も買ったが、そういう本名の人で、自伝も出していたとは知らなかった。

 そんな記事を目にした直後、ケーブルTVのキッズステーションで「うしおそうじ物語」という1時間番組を見た。これを見て、自分がいかに、うしおそうじについて何も知らなかったか、おどろくほどだった。

 うしおそうじこと鷺巣富雄は、出久根達郎も書いていたが、円谷英二の弟子だったのだ。昭和14年に東宝の特技課線画室(アニメーション部門)に入社し、室長が出征中だったので特技課長の円谷から直接、特撮について教わった。鷺巣自身も兵隊にとられ、そのときの戦友がなんと三船敏郎。三船はまだ東宝入社前だが、撮影部にいくことが内定していた。軍隊での三船の男気あふれるエピソードの数々が、まるで映画みたいに三船的で、感動させられる。

 戦後、東宝争議のあと、鷺巣はまんが家に転向。牛尾走児、のちに、うしおそうじとなるペン・ネームは、潮騒児(うしおそうじ)という子供の頃に好きだった詩人からいただいたという。弟子だった高井研一郎、永島慎二が言うように、細密でありながら、すっきりとまとまっていてかわいいうしおの絵は、TV画面に短い時間映される昔の本を見ても、ほんとに魅力的である。

 しかし、まんがが週刊誌の時代になるころには、うしおはもうかかなくなっていた。ぼくは、そのあとのことはまったく知らなかったのだが、彼は親しかった手塚治虫と同じように、ピー・プロダクションという会社を興して、TVアニメの特撮の製作を始める。円谷英二から教わったものが、ここで生きるのだ。

「0戦はやと」「ハリスの旋風」「マグマ大使」。作品名を並べられれば、みんな知っている。あのうしおそうじが、これをつくっていたのか。このジャンルのファンにはよく知られていることなのかも知れないが、門外漢だったぼくは、とにかくおどろき、うれしい1時間だった。

 それにしても、うしおそうじの昔のまんがを読みたいものだ。昭和30年代のあったかい日の光がそこに詰まっている気がする。



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