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2001.4.1 UPDATE
| 【第六回】
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宇田川幸洋
text
by Koyo Udagawa
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原初的な映像に“目”が洗われた
オランダの無声ドキュメンタリー
20世紀の最後のころというわけだが、このころ東京では、第1回のTOKYO
FILMeXとグル・ダット映画祭とフィルムセンターのオランダ無声映画特集がかさなって開催されていて、いそがしかった。といっても、それほど見られなかったが。
それでも次の日の21日には、フィルムセンターで『黒いチューリップ』('21)を見てから、近くのル・テアトル銀座でFILMeXの台湾映画『いわゆる親友』('00)に行き、終わるとすぐ銀座線の駅に走って溜池山王の『旦那様と奥様と召使い』('62)に間に合う、というぜいたくなハシゴをたのしませてもらった。
そんな、なんとなくあわただしさにつつまれていたおり、オランダ無声の短い記録映画『ジャワ島の大農園』(製作年不詳)を見て、すがすがしい、ふつうの意味とはちがうが、こころを洗われるような気持ちのよさを感じた。こころとまでいわなくても、目でもいいかも知れない。
これがそんなに大した傑作とかではない。オランダの植民地だったジャワのプランテーションの日常と仕事を写した、平凡なドキュメントである。映像は保存状態もよく、きれいで、ゴム園の朝、人々が宿舎から起き出してくる俯瞰の全景など、朝のさわやかな空気をつたえる。そこで働く少女の純真だが妖艶にも見える美しい笑みをうかべた全身のショットには、一瞬、空想をかきたてられる。とはいえ、プランテーションの記録という構えからはみ出るほどのものは何もない。
こういう映像にしばらくふれていなかったから、すがすがしく目が洗われる感じがしたのだろう。こういう映像とは、ストーリーによってきっちりとつなぎ合わされていない映像である。もちろんドキュメンタリーにもストーリーはあり、巧みにつくられた作品ほどそのしばりが緊密である。『ジャワ島の大農園』にだって、プランテーションはこう機能しているというストーリーはある。だが、それは、きわめてゆるい。それに無声なので、ことばと音楽によるしばりがない(字幕はあるけど、トーキーのナレーションとはくらべものにならない)。より素のままに近い、というか原初的な映像といえるが、これを虚心に眺めていると、撮影していたその場の時間が解凍されて生きかえるみたいで、すべてのカットがそうではないが、そこに、いのちのいきづきをあざやかに感じる瞬間がある。フィルムの中に封じこめられていたいのちがほどかれていくのをただ眺めているのが、すがすがしい。
田中小実昌は「映画というものが、じつにケチにできてる」ことについて書いている。「たとえば、映画やテレビのドラマを見ていて、画面に電話機があらわれたら、かならず、電話のベルが鳴るか、だれかが電話をかける」(「コミマサ・シネマノート」晶文社刊)
こういう「ケチ」さにがんじがらめにされた映画ばかりみている目を、無声の記録映像は洗ってくれた。 |
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“いのちの流れ”を追体験させる
台湾に残る無声ホーム・ムービー
『ジャワ島の大農園』よりももっとストーリーのしばりのない、枠組みから自由な映像に接することになった。1930〜40年代に日本の領土だったころの台湾で、登南光という人が8ミリで撮影した短篇11本。いちばん長いので10分。ホーム・ムービーである。登南光(1907〜71)は台湾生まれで、法政大学経済学部卒、'35年に台北でカメラ屋を開き、8ミリで撮った作品は、いまや貴重な映像資料となっているらしい。字幕は日本語で書かれ、クレジットは「セイサク トウトウキ」となっている。南光とトウキとどちらかが号なのか。
台北市の西端を流れる淡水河の川原を、妻と幼い息子ふたりと、天気のいい休日にぶらぶら歩きがてらに撮った、まさにホーム・ムービーの『淡水河』('35)、同じく家族が公園でブランコをこいだりしているのを撮った『家族照』('39)がいちばんこころにのこった。若い女性たちが広い庭園のような所の芝生で、ナマ脚でバレエをちょっと見せる『芭蕾舞』('35)、川や町、いろいろな所に降る雨を撮ってつなげ、またそのあとにセミの羽化などをおさめた『淡水河、驟雨、蟲、春』('40)もわるくない。
反対に、あまりおもしろくないのは、『台北樟脳祭』('41)、『台湾博覧会新聞』('35)、『台北幼稚園運動会』('37)のようなイベントを撮影した記録。運動会の競技が玉入れ等、いまとほとんどいっしょだが、爆弾三勇士を模したらしい3人で棒状のものをはこぶレースだけ珍しい、といった記録的側面からの興味は、見る人が見れば湧くだろうが、単純に見ていて、そんなにおもしろくない。
それは、このイベントを記録するのだというテーマがはっきりとしすぎているからではないだろうか。記録するぞという使命感にキャメラがしばられ、記録したという達成感でこと足りてしまっているのだろう。
こういう感想は、数年前、映画誕生100年のときだったか、リュミエール兄弟の作品がまとまってビデオでリリースされたときにも感じた。ぜんぶ3分くらいのワン・カットのフィルムだが、これにもやはりおもしろいものとそうでないのがあり、おもしろくないのは名所や有名なイベントを写したもの、奇術などを写す仕組まれたもので、おもしろいのは、タイトルをつけるのに困るような、なにげない生活のひとコマや、偶発的なできごと、といったものだったと思う。
キャメラを向ける理由が簡単にはっきりと言語化されるような対象は、写してもあまりおもしろくないのではないか。しかし、そこに予期せぬことが起これば別だが。
登南光が『淡水河』等で家族にキャメラを向けるのは、動機ははっきりとしているけれども、たとえば2、3歳の息子の何を写そうというのかは、登氏本人もよくわかってはいないのでないか。とにかく、かわいくてキャメラを向けてフィルムをまわしてしまう。そういう衝動を起こさせる写される対象の力がある。そういうときに、いのちの流れている時間が濃厚にフィルムに封じこめられるのかも知れない。この、登南光が家族とともに散策する時間を撮ったフィルムは、見る者にそれを追体験させてくれる力をもっている。
そういう断片的なフィルムの中に偶然的に流れる生きた時間を、劇映画は目的とするのか? それともそれをすてたところで別のものの構築が目的か。
ビデオの映像は、数十年たったときに、フィルムと同じように時間を追体験させてくれるのだろうか。
この登南光の8ミリ作品集は、「台湾早期生活紀録片 Early Taiwan Documentaries」と題され、16ミリにブロー・アップされたものが上映された。所は、香港電影資料館。
何年もまえから準備中といわれてきた香港電影資料館が、21世紀の初め、この1月3日についにオープンしたのである。開館式のテープ・カットはチョウ・ユンファがしたという。実は、昨年11月からプレ・オープニング・イベントとしてブルース・リーの出演作21本(!)の特集上映もあったが、残念ながらこれには駆けつけられなかった。
1月のオープニングの特集もすばらしいものだった。<亜洲電影資料館珍蔵 Asian Film Archive Treasures>と題して、香港、中国、台湾、インド、インドネシア、日本、韓国、フィリピン、タイ、ベトナムのフィルム・アーカイヴから集めた逸品を長短31本上映したのだ。日本からは『忠治旅日記』『瀧の白糸』等が貸出された。
「台湾早期生活紀録片」はもちろん台湾から借りたフィルムで、これと同時上映されたのが『阿里山風雲』('50)の途中の2巻分。台湾で初めてつくられた中国語(北京語)長篇劇映画として、またクンフー映画の巨匠チャン・チェー(張徹)が脚本を書いたことでも知られる映画だが、現存するのはこの2巻だけらしい。しかも広東語吹替え版である。そのフィルムは、いきなり決闘シーンからはじまった。阿里山の先住民の青年同士が山刀で斬りむすぶ。片方が主人公のようで、敵対するほうはサモ・ハンみたいに太りぎみ。女と老人が来てたたかいは止められ、しかし敵対関係は女がらみでつづきそう…といったことぐらいしかわからなかった。
この特集には週末に駆けつけて8番組ほど見ただけだが、見たものをひとつひとつ書いていると長くなるので、やめておく。
ひとつだけ報告すると、インド映画『チャンドラ・レーカ Chandra Lekha』('48)のスペクタクル・シーンはすごかった。『イントレランス』のバビロンみたいな階段のある王城に、その上で人が何人も踊れる巨大な太鼓がたくさんならべられ、その上で踊りがはじまる。踊り手たちのステップが太鼓を鳴らし、壮大な音楽となる。これがえんえんとつづいて陶酔させるのだが、踊りがおわると、なんとこの太鼓は“トロイの木馬”で、中から兵士たちがどっと現われて、悪い王を倒すのだ。二段構えのスペクタクルにびっくりさせられた。
電影資料館は、2、3月には'50〜'60年代の広東語映画を特集する。ぼくはまた駆けつけねばならなくなる。というわけで、以下次号につづく。
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